<2646>「得体の知れないものへ、手を入れる」

 私は言葉が止まる、、

 しかし、生は、二重にも、三重にも、してありますから、

 私は止まる、身体を見、

 あ、応える方向へ、と、

 自身の身体に、手を添へることができます、、

 あたしは最初の振れ、

 最初を起こす、、

 身体が徐々に、遠方へ、遠方へと、

 響いていくときの、立ち方、、

 あたしは汗を流します、、

 不気味なもののなかへ手を入れて、、

 かきまわす、、

 すると、

 不気味なもののほとんどすべては、

 私に食いかかる、ようなところもなく、

 ただ、

 静かにその場へ、淀んでいるだけでした、

 かきましながら、

 私は、身体が、流れだと、

 感得する、、

 そんな一地方に居ます、、

 

 おそらく、

 私のてらいも、、

 私の拒否も、

 沈黙も、

 いやらしい心も、、

 すべてが皮膚を通して、

 まったくすべてが伝わってしまって、と、

 そのように、、

 考え出すのがいいと思います、、

 あたしはだからどこか、

 裸以上のものです、、

 ここに、

 あらわれたいだけ、あらわれてしまう、、

 裸以上の、

 皮膚のさわぎです、、

 

 皮膚の内部へ、

 湿った、

 肉の部分へ入っていくことは、

 何か、

 肌が粟立つ必要の、あるものです、、

 内部へ、しかし、

 一手一手、進んでいくと、、

 なにやら、

 そこはあたたかく、

 気持ちのよい場所なのでした、、

 心の経験は、

 全てこのようなものではありませんか、

 だから、

 森田正馬さんも、、

 いやらしいものは当然いやらしいと、

 認めるところから、ゆきなさい、

 ゆきなさいと、

 言うではありませんか、、

 最初はどうしても粟立つのです、それはのみこむ必要がありそうです・・・