現在を、無音で通過する、
ここは、
何もない場所だ、というように、
しかし、、
ここが、後から振り返られて、、
ある確かな形になっているのは何故だ、、
ただ同じ風景を見つめるのでも、
今の映像は、
私のずっと先まで、残る、、
それが分かるのが、
いつまでも不思議だ、、
あたしは、、
どうしてひとりでいるのか、
それは、
身体の具体性に、注目しているからなのか、どうか、、
真実かどうか分からない話を、、
嬉しそうに語る人を見て、
どこか遠いのは、、
その話を疑うからでも、
警戒するからでもない、、
それが、
生きているあなたの、具体的な身体に、
どういう関係があり、
どういう興味を起こすのかが、
全く分からないことにより、遠いのだ、、
具体的な身体は、
昨日久しぶりにざわめき、駆けていた、、
これは久しぶりだな、
私も、このとき、
呼吸を深くして、、
このざわめきが、過ぎ去るのを、
黙って、
待っているしかないことを、
久しぶりに、思い出した、、
私はそういう意味で、
幻想の少ない人間である、
と思うと同時に、いや、
人がそれぞれ、幻想を抱く場所は異なる、と、
考えてみてもいる、
例えば、
昼の一時の光に、
過去や未来への通路を見る、という在り方も、、
まるで理解し難いことに、違いはない、
私は、
他人に期待するという部分が、
少しもないのは、
なんとも変だ、と思いました、、
他人に期待する、という在り方は、
家族適合的です、、
子どもの舞台へついていく、、
子どもへ、
名コーチのように何でもかでも、仕込んでいきたがる、、
家族適合的な、所作が、私に、見当たらない、、
好きにやったらいいんじゃないですか、と言えば、それは冷たいということに、なろう・・・