<2524>「『サーカス・カトマンズ』~アジアンドキュメンタリーズ」

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 一定年数継続的に続けてきたものは、もうその人の身体の一部なのだ。

 この、運命に翻弄された女性たちにとって、サーカスとは暗い記憶を背負っているもののはずである。

 実際に、練習で引きずり回されたり、詰られたりした経験を思い出し、苦しむ姿もある。

 当時はサーカスが好きでなかったとも言う。

 

 しかし、人身売買でインドに売られ、家族による奪還でネパールに戻ってきた彼女たち、戻ってきたはいいものの、長い間の空白期間があり、どこが自分の故郷なのかも分からなくなってしまった彼女たちを、根底で支えたのはそのサーカスだった。

 

 彼女たちの人生において、サーカスの周りを渦巻くものには、暗いものばかりがあったかもしれない。

 しかし、その周りのざわめきをこえて、中心では何が起きていたのか。

 サーカスが、彼女たちの身体になっていたのだ。

 

 身体になっている物事は、どうしようもない瀬戸際で人を支える。

 それは、ある人にとっては文を書くことや、野球をすることかもしれない。

 

 どんなに暗い記憶を背負っていても、サーカスそのものとだけは、透明な関係を結べる、あるいは結べたのだ。

 なぜなら、それは純粋な身体の動きの集合だからだ。

 

 彼女たちが、その技術によって、自らの身体の躍動によって、力を取り戻し、周囲の人を啓蒙していく姿は、とても美しい。