一定年数継続的に続けてきたものは、もうその人の身体の一部なのだ。
この、運命に翻弄された女性たちにとって、サーカスとは暗い記憶を背負っているもののはずである。
実際に、練習で引きずり回されたり、詰られたりした経験を思い出し、苦しむ姿もある。
当時はサーカスが好きでなかったとも言う。
しかし、人身売買でインドに売られ、家族による奪還でネパールに戻ってきた彼女たち、戻ってきたはいいものの、長い間の空白期間があり、どこが自分の故郷なのかも分からなくなってしまった彼女たちを、根底で支えたのはそのサーカスだった。
彼女たちの人生において、サーカスの周りを渦巻くものには、暗いものばかりがあったかもしれない。
しかし、その周りのざわめきをこえて、中心では何が起きていたのか。
サーカスが、彼女たちの身体になっていたのだ。
身体になっている物事は、どうしようもない瀬戸際で人を支える。
それは、ある人にとっては文を書くことや、野球をすることかもしれない。
どんなに暗い記憶を背負っていても、サーカスそのものとだけは、透明な関係を結べる、あるいは結べたのだ。
なぜなら、それは純粋な身体の動きの集合だからだ。
彼女たちが、その技術によって、自らの身体の躍動によって、力を取り戻し、周囲の人を啓蒙していく姿は、とても美しい。