トルコの田舎の各地を興行で廻る、劇団の人々のドキュメンタリー。
『リア王』を演じるのは皆おばさんたち。町々で、決して上質な芝居を届けている訳ではない。
でも、この人たちはきっとこれからもいろいろなところで必要とされ続けるだろうな、と自然に思わされる。
おばさんたちは芝居の日、夜の開演を迎えるまで、町の人々と話をする。
話をするだけでなく、芝居へ出ないか、と誘う。
「普段の仕事ができるなら、芝居だって絶対に出来る」
が合言葉のように、どの地方でもおばさんたちの口から繰り返される。
ただ芝居を見るだけでなく、そこに村の人々が出演すれば、出た人も、見ている人もより一層盛り上がる。
盛り上がるだけでなく、自分もその芝居の内部に取り込まれていく。
題材は『リア王』。父と娘たちの相続がテーマだが、そこには人間が生きていく上での個人的な問題が多分に含まれている。
演劇というイリュージョンに付き合っているうち、そこに浮き上がる自分の問題を、客観的に見ることが出来るようになる。客観的に見れることで、その人の現実がまた違った姿を取れる。
町の人々と話をするなかで、劇団のおばさんたちは、どうして演劇をするのかを説く。
曰く、演劇によって生きることに自信が生まれるのだと。
だから、特に一番自信がなさそうな地元の人々に、舞台に出なさいと積極的に声をかける。
舞台に出れば、今のこの生活だけが現実で、どこへも行かれないと思っていたその、あなたの心情が変化する。人間が変化する。
人間が変われば自信が生まれるのだと。
この劇団のおばさんたちは、上手い演劇をしに来ているのではない。
演劇というものが現実にもたらす力を、舞台そのもので、舞台前のおしゃべりで、楽しそうに踊る姿で、全身で各地の人々に示し続けているのだ。
移動のバスの中での、運命を巡る、決して明るいとは言えない議論も、このおばさんたちの手にかかれば、なんとかなるもののように見えてくる。