<2020>「川のそばをひとりで通る」

 あなたは線なのか、

 あなたは振動線なのか、、

 どこから見たら、この、光景は、、

 あのひとつの、印になる、、

 私の肌は束だ、

 いくつも風の、残りが溜まる、

 そういう場所だ、

 視線が、何か、

 はっきりとした意味を持ちすぎてしまい、、

 私は戸惑う、

 私は、流れる、、

 

 なにか、

 たったひとりなのではないか、、

 話してもしょうがないようなところで、

 たったひとりなのではないか、という気がする、、

 私は生まれたのに、

 生まれたことを知らない、、

 私は悲しいのだろうか、

 川のそばを、ひとりで通る時間が必要だった、

 あのとき、熱溜まりのなかに固定されて、

 なんで私はここにいるのかと、思う時間が必要だった、、

 私は、こんなとき、

 ちっとも走り出さないで、、

 表情のない地面の上に、じっと立っていて、、

 この時間は前にもあったな、と思う・・・

 私は、陽のなかで、野球の練習をしていた、

 私は、陽のなかで、駅のホームに立っていた、

 電車のなかに、陽が紛れて、眠っていた、、

 私は午後、どこへも行かず、

 無表情の住宅と、

 一体になって、

 この陽のなかでもうほとんど溶けていた、、

 

 そうだ、

 私は川のそばを、やはりひとりで通る、

 通らねば、と思ったのではない、

 そのように動くのが、意識もしないほど、

 自然であったのだ、、

 私は、「なにもかも」と「無だ」

 を重ね合わせることが出来ないし、

 重ね合わせたところで、

 それを悲しい意味に解することはできない、、

 こんなところまできて、

 生まれたのに、

 たったひとりではないか、ということ、

 そのことをただあまりまえのこととして、

 確認出来る時間を、場所を、、

 いつも心のどこかでは求めているからだ、、

 私は現実のなかで緊張して、

 仕事をしたあと、、

 そこからほどけて、

 ただ、あたたかい場所を、

 次から次へ送られる、あの時間は、、

 私の夢の景色のなかに残ることを、

 なかば確信しながら、どこまでも眠い・・・