<1933>「奥を行く手」

 あの肌の熱さわぎのなかにひとつの仕草でうずまってだな、、

 ひとつふたつと駆ける、

 はっきりとした装いがいまここに垂れるものと見え、、

 次から次へここに表情となり渡る、、

 あの、遠くから声を掛ける人たち、

 揺らぐひとつの葉、、

 私は倍加する、

 倍加して、その響きのなかへ潜るように見えたものだ、、

 私は這い廻り、

 そのなさけのなかで増える、、

 ここの渦で、

 ここに生きているのは渦で、、

 たれかれとなくその物事のなかえ、

 伝わり続けるのか、、

 

 あたしはまた奥へ入れ、、

 その混迷のなか、

 どう声を掛けるのかも分からない場所へ、

 次第に染み通っていくのだ、、

 あなたは身体の動きを育てた、

 実行家らしく、

 あなたは具体的な手だ、

 響きを知れ、、

 響きをその様子のなかへ渡せ、、

 わたしはそのまま揺るぐ、

 そのまま駆ける、

 ひとつで増え、濡れて、めざめ、、

 はたり、

 や、

 はたり、と当たり前に垂れてくるのだ、、

 私は打たれた、、

 この心地の良い時刻に流れ、

 うたれた、、

 私は呼吸のものとなりながら、

 ここへ吹き込む、、

 

 ここへ一量の時刻を吹き込みながら、、

 あなたは歩を立てていた、

 知れる、

 あなたはその響きのなかをどこまでも知れる、、

 このように傾いたところから、

 時刻として、

 当たり前に出で来、、

 当たり前にさわぎをなして、、

 当たり前に通ずる、

 ひとりの様子だな、、

 私はその声のなにようを探り、、

 まともにさわりえて、

 しかしここへのびる、、

 ここへそらまともな表情たちのびる、、

 さわってさわって、、

 いま時刻へ続き、

 いま語りのなかへ膨らみながら続く、

 どうと来い、どうと、

 あれそこに明らかにしらしめているのにも、いる・・・