<1910>「爆発する日の秘密」

 名前がありまた同じように浮かんで、、

 その先を眺める、

 あたしはこの歩行のなかに紛れているようだけれど、、

 どこから見た、、

 どこからそこに等しい声がかかった、、

 ばらばらになり、、

 あるいはとけたままで知らせる、

 ひとつの姿がそこにあって続き、、

 私は、大きく傾く、、

 ひとの勢いのなかにあたりまえにあり、、

 私は回転する、

 どこということもなく、

 このつちのなかに振る、、

 

 なにかきこえているならばその振動に合わせる、、

 私は大きな声で生きるということを言う訳ではない、

 そのしぐさのなかであきらかに揺れている人としてミリ単位でまた粒を足し込んでいくだけ、、

 と思う、、

 となぞる、、

 私のなかの肌をなぞれ、、

 そこに言葉の数に見合うものがあるのかどうか、、

 だはは、、

 爆発する日付、、

 はれてものもそのさいごへ触れる、、

 私は運動に対して、

 誇るのでもなければ、、

 卑下するでもない、

 ただ具体的な身体の持続性をきいているだけだ、または、

 きいているだけになりたい、、

 とひとつところでおもった、、

 私は爆発に触れて、

 生きていることが不思議に静かになっていることをおもう、、

 私はその流れのなかにはりつき、

 このままでうたってしまうのだと見えた、、

 

 あら、新しい皮膚、、

 あなたはどこから何を吸ってきているのかしら、、

 私に秘密にしていることがとても多かったりしてね、

 たは、たは、、

 または、彼は誰だ、、

 私のなかでばらけて、

 別々の印と声とを届けてほしいと思う、、

 輪を持つ無数のつながり、

 輪を待つあたしの肌へ、、

 その脈に寄せて、きこえるもの、、

 あなたの饒舌から少し遠くまできたような、、

 しかし、どこまでも紛れたれば、、

 なはは、は、は、、

 今にその様子のなかに埋もれて、、

 どこへ行くか分からない人の、

 その歩くひとつの、

 確かな重さになって、、

 印がつくのも間近で眺めるようなことになる、、

 ああはっきりときこえて、

 私は、この露のなかに、全身から何からで、流れる・・・