<1906>「生活記憶の人」

 あなたがその隙間に備えているもの、、

 たくみに揃えて、

 かしょかしょごとに渡すものを、、

 いちりょうで見た、、

 見たらば錯乱するなあ、

 見たらば惑うなあ、、

 なあどうした、

 吹き荒れるものの毒を言いたいのか、、

 私がただ流されて流されて含むそのすさみのことを言いたいのか、

 まえのままの顔ではないが、

 利も毒も入ったよ、、

 私は泳いでいる訳ではない、

 吸っている訳ではない、、

 ただそこに何もかも入ったと思うだけなんだ、、

 先の方へ聞こえて、、

 お前は筋が何本も増えて軟体らしく、、

 壊れにくいものらしく見えてくる、、

 生まれてくる、、

 擬態を作り上げてきている、、

 

 あたしはただ風しか鳴らない地点にまっすぐに立っていた、、

 人は誰もいない、、

 私は空の模様、、

 いっとき、どこかの通過点というところから柔らかく剥がれて、、

 あたしはその印象のなかにいる、、

 あれどこだろう、、

 どこか慌ただしく人が行き交う風景を、

 建物の三、四階辺りから見つめている人という、

 これは記憶ではないものが、、

 私のなかに映像として繰り返し流れているが、、

 私はこれはなにだというような事を問おうとしない、、

 ただその通りに、

 緩慢ながらも踊りも含んだ人が来るのだろう、という、、

 ぼおっとした煙がただたくわえられ、、

 等しく時刻ごとに漏れていくだけだ、、

 漏れたものに含まれて、、

 いまこの地点にいる、、

 

 うたがいとか、、

 ものごとがすみやかだとか退屈だとか、、

 そういうことを、、

 全て作業に含んでいけると思った、、

 これは傲慢ではないと思う、、

 なぜなら、

 技術の立ち上がりはそのような表情を必要としないから、、

 私は縁の縁まで行って、、

 ある小さな運動体になり、ここに立っている、、

 人間が数多生きていることはとても静かなことであるよ、

 私は高台に出て風に触れるとそう思う、、

 私は叫び出す必要がない、、

 どこに行くのかどうかというのも考えることはない、、

 垂れた液が、 

 垂れたそばから

 徐々に濃くなるのを見つめているだけですよ、、

 私は酔狂か、

 まともな生活人か、、作業体か、、勢いか・・・