<1875>「騒擾の日」

 ものが次々に騒ぐさまをそこで見ている、、

 そのしたでふるえ、

 そのままなにという姿もなくはっきりと出で来、、

 私はそこでふざけて、

 ひとつひとつの場所と、接触していく、、

 そうかそうか、

 遊ぶというのは、調子に乗ることではないんだな、、

 物事をやらないことではない、

 その空間に上手く含まれて、、

 ずっとなかへ入りきってしまうことなんだ、、

 なんだ、粒だ、泡だ、

 今次から次へと湧いて、、

 あたしは騒ぎになる、

 この表面にまっすぐ据えられて揺れているあたしが、

 一量の騒ぎになっている、、

 

 なんだかひとつの気のなかに、

 まったく続いていくものがあり、、

 さなかへ、さなかへ、、

 身体ごと散っていく、

 あたしはこのリズムのなかに生まれて久しいけれども、、

 これは誰なんだ、、

 これは何が打つんだ、、

 ひとつの声、、

 私がどこかから作ってきた声、、

 そのものに惑わされ、

 そのものが揺れて、

 あたしは肌へ通じ、

 ものとものが騒ぐなかを来た、、

 なに、なに、別々のものが溜まり、、

 そこでありえた呼吸をしながら、

 いまひとつでそこに見えて来る、、

 私のなかにそれは生まれて、

 剥がれて、いくつもの印、

 こぼれて、

 どうだどうだきわまって、、

 日の量の中で回転する、

 おそろしい日を持ったものだ、あなたは、、

 ここにこうして回転して、

 内情を騒がすのだから、、

 

 あれ、手についた、、

 それぞれの香なのかなになのかを、、

 私は探り、私は掴み、

 ものとものと過ぎる時刻へ来て、

 いままったくさらにふるえる、、

 身体がその長さで、

 いままったくあり、

 静かにきこえて、、

 次々に振るあたしのものの仕草、、

 あたしはその仕草を含み、、

 まるで遠い時刻へ来れる、

 じだらじだらじだら、、

 あれその声は溢れて、

 あたしのなかへはっきりと続くような、、

 ものごとの姿勢を見せている・・・