<1851>「流れるつちの上」

 さわぎに混じるひとつの表情、、

 しかし、あなたは、、

 こんなところにいて、ぼうっとしてきた、

 声が聞こえる、

 経過が聞こえる、、

 身体は、しかし、風に混じり、、

 内側の水が揺れて、

 不思議に静かな気持ちになった、

 どうやら、そこで、

 ひとつの燃焼があって、、

 私は、灰になります、という、声をきいた、

 そこへ、

 声をきいて、私は、静かに流れ出していた、、

 

 緑のつちの、

 その肌に触れて、、

 なにと、なにとなく、

 つめたい・・・

 あなたはいつも、この時間に、

 この温度で、

 ここへある、

 私も沈黙しているしかない、

 私もその身体のさなかへ、、

 静かに潜っているしかない、

 私はその、つめたいつちを持ち、

 かつて馴染んだ道に帰った、、

 そこへ帰ったら、

 そこへ溜まり込んでいるものの多さ、

 を、全面に受け取れた、とは言えないかもしれない、、

 しかし響きのなかに来て、、

 私は、あたりまえに、

 日という無限を経過して、

 位置が動いている、、

 風景が動いている、

 言葉が垂る身体が動いているのを感じる、、

 

 あたしは感激屋であるような気がするから、

 普段は努めて大人しくしてある、

 何故努めるのかは分からないけれども、、

 響きが振れて、止まないことがあり、

 嬉しいけれども、

 ずっとそこにいられるたぐいのものではないからかもしれません、

 平静ではないのかもしれません、

 それで、私は、他のものを排する訳ではありませんが、

 仕事に集中し、、

 点の記憶のなかにいます、、

 現場性を持った時間から、

 離れれば、離れるほど、、

 あれは私個人の点の時間だったのだという感慨が濃くなり、

 途方もなくなることはありませんか、、

 そのすりあわせを行うことの難しさを感じて、

 またそこで、途方もなくなっています、、

 それは、良い時間には違いがありませんが、、

 当たり前に流れていく、、

 そのつちの上に乗っているというのは静かな気持ちです、