<1850>「白い陽」

 さわぐ日の時刻に連れられて、、

 私は、ここに、表情を持ち、

 あらわれては、戸惑いを成す、

 そこに生まれては、

 ひとつそこに呼吸と色合いを加え、、

 ここに育つ、、

 ここに身が出て、、

 それを非時間の私が眺めると、

 ただ風に揺らぐさまが不思議でもある、、

 あたりに音も付き、、

 私は現象して、

 その地点を静かに肌に含ませている、、

 あたしは生きている、

 必ずこの呼吸が深く、静かな記憶の役割を果たすことを知り、

 私がまたここに生まれ、

 小さな肌のなかに、

 あなたの色味がある、

 私は穏やかにそれを見つめる、

 

 夏の暑い日に、

 繁茂する光景のなかを行きながら、、

 声が誘い、、

 私はこの白さのなかにとけて、

 あ、 

 私はここに、生まれた訳ではなかった、

 これは途中の道だ、

 しかし、何の途中なのだ、、

 よく分からなくなりながら、

 公園の傍らにあるベンチへ、腰を落ち着ける、、

 このまま全体でとけて、

 私はあの大仰な木に見下ろされるひとつぶの小さな揺れになろう、、

 歩行は知らない、

 記憶も知らない、、

 私が誰かを好きでいるかどうか、ということも、

 はたして知らない、

 

 人間の枚数が、

 このなにげないひとつの重なりの、

 当たり前に繰り返される、

 途方もなさが、、

 今私の前で点滅し、、

 像を結ぶ、、

 あなたは白い陽に当たり、

 当たり、経過し、

 真白な肌と、真白な月日を経過し、

 そこへ、静かに立っておられ、、

 緩やかに地歩を固めていられる訳ですけれども、、

 feed、

 というその一語を、、

 静かな表情で告げましたね、、

 あなたは渦のなかにいなさい、

 渦のなかにいて、、

 そこに呼吸をためなさい、

 そして、その影響が巨大となり、この陽へなんの無理もなく混ざるのを、ゆっくり確かめるときが来るのだといふ、、