<1840>「緑の記憶」

 根がさまよい出て、、

 長く当たり、

 長くその方向へ染みて出ること、、

 私はその複数の流れのなかに混じり、

 このはてのなかで呼吸し、

 この行方のなかで誘う、、

 お前はまたそのつちのなかを這い、、

 静かに生まれて、、

 静かに発話するのだ、、

 なあ、なかに水を含み、、

 身体が膨れて、

 あたしのなかに通じてくるものと思える、、

 いちりょうのさわぎが、、

 いまあたりまえに生まれて、、

 道をひとつひとつ辿ってくることと思う、

 ひとつの愉快が、

 身体のなかを走り、、

 いつものいとのなかを進む、、

 

 あたしは糸のなかにとけた、

 小さな信号だ、、

 小さな信号は揺られて、、

 この地平へ続いているさわりのおと、、

 それをはたできき、

 そのままの姿勢で、合わさりつつ、

 外に見えて、、

 そのまま、不安定に流れてきた、、

 私がどこを噛んで、含むのか、分からないまま、、

 あなたはここへ来て、

 ほうとひとことする、、

 身体のなかの眼に順番に移って行き、、

 ざらり、と肌はその地へ連なる、

 連なってきたものへ、響くの、、

 ひとつ、ふたつ、、

 それから浮かび、、

 ぽうとした、光の中で、いつまでも立っている、、

 この肌の質感のそばにいつもいるのが、

 本当のことだろうと思えた、、

 私はこの仕組みのなかに流れ、、

 複数になり、生まれる、、

 

 生まれた葉を立ててそのなかにじらりと染みて、、

 私は渡って、、

 とても遠いところにある音から私は長く続き、、

 その欲望のなかにあり、生まれ、、

 身体がはじまったところへ浮かんでは揺らぎ、

 静かにかえり、、

 そのもとの響きのなかをあなたは続いた、、

 どこかに見えているのでないまま、

 ここはふぶき、

 ここは割れ、、

 ここは静かな方向が浮かんでは消えるところなのだ、、

 よくきこえたなにかの、、

 静かな姿勢のなかに、、

 あたたまり生まれて、、

 私が葉をなぞる、緑の記憶が流れて行く・・・