<1148>「わたしの死を知らない人」

 無音の青年が私を覗き込んでいる。

 無音としか呼べない姿勢で、

 肌を、目を、あるいは振舞いを覗き込んでいて、

 

 また交わす。また混じる。

 ひとが出る、退く。

 

 (あるとき僕は葉子になった。しかし生活の全てではなく)

 

 見留めた。根も、姿も忘れ、また見留めた。

 揺らいだ。それも過去でなく、

 

 ここはいつも陽がとどまったままでいる。

 かわいた顔をして、

 声が、雲が、器が、あくびが滑る。

 

 不在票を見つめ、時間になる。

 わたしで良ければ時間に貸そう。

 やや明かりに紛れ、くらみ、うつぶせ。

 あれは車の音らしい。

 

 明らかにひらくのをよそに、

 明らかに姿が混じるのをよそに、

 

 20年前の他人が壁を見つめている。

 音も、 味もない、 ただの壁。

 わたしは、一声かけたらどうだろう、と、わたしに対して思うか思わないかしている。

 

 あれは車の音だろう。

 何の気ない一日をよく分かるためにはどうしたらいいだろう。

 

 渦のなかで驚くほどに当たり前の顔として振舞うことたち。

 沢山の本。 肩をほぐす仕草。

 ただの時間がこの人の隣にあるということ。

 退屈に対して少しムッとする横顔。

 

 わたしには昨日であって、あなたには昨日でない。

 空は場所であって、あなたには夜がない。

 

 それでは、また、夜に会いましょう。

 と言って、戻ってこないままの道、流れ。

 

 ある額縁を助手席で抱えている人。

 わたしの言葉が分からなくなったあともわたしのことを憶えていた人。

 

 電車に乗らない人たち。

 わたしはひっそりとして、

 20年前と同じ姿勢で、車窓を飽かずに眺めている。

 わたしの死を知らない人たち。

 時折暗転して独白を秘かに待っている人たちと。