<459>「分けること、分けないこと」

 何でもかでも分けていくのは愚かしい。だから、分けない、あれもこれも分けない。そして風景となり、風景として見、曖昧なバランス、揺れ、歩行を受け止める。それは難しいことではなく、少しく楽しいことではあるが、一方でどうして困難を感じるような気がするのだろう? 困難を感じるような気がするのはどうしてだ、というのも、現に何らの困難も存在しているように思えないからであって、もし仮に困難などというものが本当に存在するのだとすれば、それはどこにあるのかというと、

「ただたんに動いていく」

ということと、

「丁寧に丁寧に分けていきたい」

ということとのせめぎ合いのうちにあることになる。

 丁寧に分けていきたい、というのは頭の根源的な欲望であって、これを抑えるのはなかなかに難しいのだが、一方でただたんに動いていく運動も、それが単純な動きであるが故に、あらゆる領域に跨っているため、どこかにスッキリと分けてしまうことが出来ない。おおなるほど、ならばただたんに動いていくことを中心に据えよう、という思惑を、しっかり分けたいという気持ちの強さがぐぐと押し返していく、といった具合で。困難があるとすればこういうところだろうか。