<41>「ためにではないもの」

 為にで見ればもれなく間違うというのが自分の考えだが、それが助けになるのなら、仮の目的地を設定しておくことも悪くないとは思っている。しかし、他人の死の瞬間だ、間違いが当たり前のように存在している場面は。

「この人の一生とは一体何だったのだろう?」

という言葉が、嘆きを強めて悲しみを乗り越えるべく用いられているのならばともかく、純粋な疑問として提出されているのなら、それは提出の仕方がまずいと言わなければならない。為にというのは、どこまでいっても、何もないところにとりあえず設定されているものであるという領域を出ないから、本性とは関係のないものであり、その人が過去、確かに目の前に存在し、その人独自の熱を持っていたという事実に、為にというものの入る隙間はない。