「とんでもない技術だ」という感慨に「大したことない」が混じるのは・・・

 到底追いつかれそうもないと思われる技術、あるいは知性というものに接したとき、

「大したことない」

という意識、あるいは半ば無意識が混じるのはどういった訳だろうか。

 大抵は、

「負け惜しみ、嫉妬」

だとして片がつくのであろうが、どうもそれだけには思われない。むしろ、それらは副産物であるとすら思われる。

 では、その、

「大したことない」

が混じる主だった理由は。おそらく、明らかに私とは隔たっている能力を持っている人たちとも、共通した姿、記号とを持っているということにそれは由来するのではないか。

 つまり、どんな身体的技術を持つ人とも、一応は同じような形状の肉体を持ち、また、どんなにか優れた知性を有している人とも、その、使用している言語というのはなまじっか同じであるということから、

「私も同じようなものを持っているから、別にそこまで大したことではないのでは」

という錯覚が生まれるのではないかということだ。

 しかしまあ、いくら同じような形状を持ち、同じ言語を操っているとは言えども、それ以前の、あるいは以後の問題が全く違ってしまっているということに、気がついていない訳ではない。だから、

「大したことない」

という意識も、戯れに混じる程度ではある訳だ。