<489>「ものから離れて」

 明らかな固定の時間と、それを忘れる時間の、この距離を見せられて、意識はかなり離れた、高い場所を取らざるを得ない。それは偉いからだとか、中心だからだとかではなく、そのぐらいのポジションにあるのでなければ、意識が意識として機能するのが不可能だからだ。また、全く距離がないその実際の出来事の、当事者でもある。だがこれは意識ではなく、その場の身体だ。同じ存在でありながら、身体と意識と、後者は物質的制約からある程度自由(もちろん完全にではない)だということで、遠くに距離を取り、またそのことでバランスを保つ。

 この、身体的なダメージに、直接意識が貼りついていたらどうなるのだろう。おそらく、大したこともない刺激でも、後ろにひっくり返ってしまうのではないか(普段のポジションにあるときの、意識の冷静さ、いや冷たさよ)。距離があって良かったという言い方も出来るが、距離がなければそれは意識ではないのだろう。また、それだけ距離があるのだから。完全に物質的な制約を受けている現実と、意識がズレているのは当たり前で、それは、「意識の仕方」の問題ではないのかもしれない(先日の想定のことも考えている?)。