謙虚と責任逃れは紙一重

 「謙虚」という姿勢は支持を受けやすい。その意味を辞書で調べると、

『ひかえめで、すなおなこと』(岩波国語辞典第二版)

となっている。素晴らしい態度、心構えだ。

 しかし、私の場合、どうも「謙虚」の前段部の意味、

「ひかえめ」

をやたらに拡張して活用し、

「すなお」

を奥に引っ込め、少々ゆがんだ形で「謙虚」という態度を表してしまっているような気がする。いわば、「謙虚」を悪用しているきらいがある。

 つまり、「すなお」さも謙虚の一部であるということを全く理解せずに、

「イエイエ、私なんてまだまだ・・・」

というように、「ひかえめ」が主であるかのように「謙虚」を使ってしまっているのだ。こうなると、「謙虚」が形を変え、

「責任逃れ」

の様相を呈してくる。

「私はこんなもんだから許してください」

という卑屈、必要以上のへりくだりが顔を出し始めるのだ。

 「謙虚」はそういうことではない。この、ゆがんだ使用法は、ズルい自己防衛の為でしかない。それでは素直さのかけらもない。「謙虚」は素直さを含まなければならない。過度に誇らず、卑下せず、それこそ「謙虚」だ。

 気をつけたい。また、本当の意味で「謙虚」でありたい。