<1733>「分かっているが、粗い」

 自分がこうイメージしたら分かりやすいということなのだが、

 物事を理解したと思い込んでもそれは全然まだまだで、

 無知を知りなさい、

 無知の知だと、

 でこれを私が正しく掴むことが出来なくて、

 無知を知るっていうスタンスをとると、

 分かっていることまでぼやけさせてしまうというか、

 現在地が分からなくなってしまうという失敗を何度かした。

 

 そこで、分かってはいる。

 分かってはいるけれども、だいぶん粗い。

 まだまだ粗い状態ですあなたは、というようにものを整理し出すと、なんとなくしっくりきた。

 進み方も分かりやすい、つまり詳しくするという方向。

 きめ細かくしていく、

 大体において分かっているものをきめこまかくしていくという方向までこれだと見えやすくなる。

 

 思えば、ただ分かっているということに対して、

 偉そうに、まあ誰かに対して偉そうにしていたということでもないのだが、偉そうにしていたこともあり、

 あんなに粗い状態であるのに、恥ずかしいな、と思い出すことも多い。

 

 彫琢していく、それに終わりがない、

 詳しくしていく方向しかないというのは希望があることではないか。

 また自身より秀でた人が同じ結論にあったとしても、

 それは精密という点でだいぶんひらきがあるのだということが分かれば、

 徒にふんぞり返ることもない。

 

 そうすると、詳しくすると、

 いま分からないこともいずれ分かると、

 それは楽しいではないですか。

 時間のなかにいて良かった。

 あ、私、時間の中にいて。

 もっと詳しくなりますから。

 磨いている人の背中や指先が好きです。

 少し生きている途中の時間で、

 集中した空気を受けて、

 そういうことが分かりました。