<1001>「爽快さへの道」

 完全な想像でしかないわけですけれども(逆に、想像でなかったらこわいことになりますけれど)、殺人って、思ってたのと違うなあ、というか、爽快感もなけりゃ、スッキリも別にしないような気がするんですね、

 刺したりしたら、今までそこにいたはずのひとは一瞬でどっかいなくなってしまうし(この人をつかまえようやっつけようと思ってたはずなのにね)、血はすごいしなんかにおいとかもすごい、自分の今後とかを考えるとその諸々のおもさとかもすごいな、みたいな。

 やってやったぜ、全部ぶち壊してやったぜ、みたいな仕草が披露されますけれども、前述のような想像をもとに考えますと、

「あれ、思ってたのと違うな」

というか、

「そんなにスッキリ、て訳にもいかんな」

という感じではないかと思うんです。スッキリするだろうとか、せいせいするだろうとかを、考え違いしたまま行為に及んでしまったとすると、被害を受けたひとは当然のこと、被害を出したところの当人も不幸ではないですか、ね?

 演技をしますでしょ? 正確に、ね、正確に演技をしますよ、つまり、どっかへ運ばれてるときに顔が映る(このひと、ひと殺してますよ、みたいなもんですわね)、と、カメラに向かってニタッと笑ってみせる、とかね、

「わたしは無敵ですからなんのおそれもありません」

みたいな、

 そいで、世間のひとはヒエッ、とか、ひゃあっ、とか言う訳ですよ、

「信じらんない、理解しがたい、おそろしい」

的な、

 でも、ちゃんとしているというか、世間のひとに向かって、こういうポーズをしたら、あるいはこういう発言をしたらめちゃくちゃこわがるだろうという想定を立てて、実際にカメラにニタッとしてみたり、無敵ですからあたし、みたいにするっていうのは、ことの善悪はどうあれ、頭はハッキリしているな、ちゃんと物事を考えられるひとだな、こんなにちゃんと物事を考えられるひとなら殺人なんてしなくても済んだんじゃないかな、と思うわけですね(わたしだったら、ひと殺してるのに普通に警官と雑談しようとしてるひととかのがこわいです)、

 なんだこれは、納得いかない、ちくしょうぶち壊しだ、さぞ爽快だろうな、みたいな、でも殺人でそれ得ようとしても、多分思ってたのと違うことになるよってのをちゃんと説明出来れば、カメラにニタッとしてみたり、無敵ですからって言える判断のあるひとたちは大丈夫なんじゃないか、というか、事前に止められるんでないか、と思うわけですね、

 そいで、もうなんか塞がったと、どうしようもなく塞がったと、爽快感を得たい、ではなくもっと上、爽快感を得なければ死んでしまう、というところまで塞がってると、したら、殺人じゃなくて、圧倒的に、人を、モノを、大好きになるしかないんですね、これ、爽快です、実体験です、間違いないす、こんなに爽快感得られるかってくらい、気持ちいいです、

 そいで、全部が全部じゃないでしょうけど殺人の話に絡んで愛の話とかも出てきたりするんですけど、

「好きでもどうせ振り向いてもらえない」

「誰にも愛されない」

みたいなね、ことを言ってるんですよ。それは殺しは絶対に悪いことですけど、

「もう! カップル当然教育、カップル至上主義のバカ!」

って思いますね、

 好きだ、それも圧倒的に、という気持ちひとつで自身が、自身のエネルギーが完璧にスパークすればそれが全てで、そこでひとりでうひょうひょ言ってればいいんですよ、振り向くか振り向かないかなんて相手の領域に属するところだから自分には全然関係ないし、関係ないところで自分はひとりで気持ちよさで爆発してればいいんですからね、

 それを、そう言わすってことは、公に、あるいは暗黙裡に、

「好きかなんか知らないけど、最終的にカップル(夫婦)にならなしょうがないでっせ」

って圧力があるんでしょうね、だから好きは抑えなきゃいけないし、振り向いてもらえるか否かを(ホントは考えなくていいのに)考えなきゃいけないって思い込んじゃってる。

 いやバカかと、カップル(夫婦)も結果だから、それはオマケみたいなもんだからって、それよりも、自分が圧倒的になにかが誰かが好きだということの方が大事で、それが全てなんですよって、ちゃんと言っていこうって、誰も言わなきゃわたしだけでも言っていこうって、爽快感っていうのは間違いなくここで得られますよってことを言いたいです、そんなん、振り向いてくれなかったら意味ないなんて嘘ですよ、圧倒的に大好きで、そういうものがいっぱいあってってだけでめちゃうれしいですもん、それだけで完全に気持ちいいですってわたしは言えます。