文句を言っちゃいけないしんどさ ~感情は理屈ではない~

 世の中で、徳の高いとされている人、例えばマザーテレサガンジーなどがそう言えると思います。 こういう人を嫌いという人間はあまりいないのだろうと思います。ほとんどの人がどちらかといえば好意的な感情を持っているのではないでしょうか。

 

 ただ、「やだよぉ~俺は、あんなしわくちゃなジジイババアは嫌いだよ。」

と言う人が居たって良い訳です(勿論、私はマザーテレサガンジーも好きですので誤解なさらぬよう 笑)。

 しかし、これを言うと

 「あんな素晴らしい人たちを嫌うなんてどうかしてる」

 「あの人は人格異常なんじゃないか」

といった反応が少なからず出てくるんじゃないだろうかと思うんですが、これは問題です。

 何故なら、好悪っていうのは「感情」ですから、こればっかりはどうしようもないんですね。

 おそらく、マザーテレサガンジーがなんとなく嫌いだと思ってしまった人は、彼らの徳が高かったばっかりに、「自分が嫌ってしまっている」という事実に非常に心地悪さを感じてしまったのではないかと思います。

 そこで、やれあの人はこういう偉業をやった、この人にはこういう素晴らしい所がある、だから良い人なんだという「理屈」を集めて自分を納得させようとしたこともあったでしょう。

 でも「感情」は「理屈」ではありませんから、そんなことしたって嫌いなものは嫌いなわけです。

 

 これを認めていかないと、とてもしんどいことになります。

 「あの人はこんな素晴らしいのに、何故嫌いなんだ」

 「こういう偉業をやったんだぞ、どこに嫌う理由があるんだ」

言ってることはわかりますが、これは人の「感情」を「理屈」で裁いているんですね。 これをやられた方は、相手の言っている「理屈」が真っ当であったばっかりに、もう黙るしかなくなってしまいます。

 

 「感情」は「理屈」ではどうにもならないということがちゃんと理解されていない世の中はしんどいです。