<344>「贈与と交換」

 「これは贈与ですよ」

というのは建前で、実際は交換であり、もらった瞬間からもう、何かを返さなきゃいけないと考えなければならなくて、また仮に返さないでいると、贈与をしたはずの相手は、

「何も返ってこない!」

「あの人はこういうとき何も返さない人なのね」

と言って怒り出す・・・。こういう馬鹿々々しさというか、面倒臭さが大嫌いだ。

 贈与なら贈与で、送った瞬間から送った事実自体を徐々に忘れていくべきだし、交換なら交換で、渡すときに最初に、お礼に何かを返してほしい(何故なら交換だと思ってこれを渡すのだから)という類のことをしっかりと言うべきだ。そうやってシンプルにやっていけばいいではないか。

 建前だけの贈与の何が嫌いかって、気前が良いようなふりをしているところが嫌いなのだ。贈与なんだから、何かを返すとかそんなことは全然気にしなくていいし、こっちでも期待していないから大丈夫だよ、というふりをしていい格好をしたくせに、その実何かの見返りがないと、不機嫌になったり、相手を悪く言ったりする。そして、そうした振舞いをすることによって、相手に、

「その人には、次から『贈与』に対するお返しを、『必ず』しなければならない」

と思わせておいたくせに、その流れで何かしらのお返しをもらうと、

「ええ、全然良かったのに」

とまた、最初から自分が行っていたのは純粋な贈与であったかのようなふりをする。こういう汚さが大嫌いなのだ。