<534>「随分若くして生まれてしまった」

 何処からも見えていない道を通った。

「時間が必要なのだろうか?」

時間は、あってもなくてもいい。何故ならそこに、距離らしい距離もないからだ。速さなどは要らない、速さなどはない。それでも少し、速さを頼むようなところがあったのではないか。

「あったのか?」

「さて、どうだろう・・・」

なるほど、内部空間は若者ではない。私が憧れを、彼らがズレを感じるとすればここいら辺であったのだろう。この細い通路は、全体を見渡していて、身体としては全てのポーズを取り終えたと言える。

「もっとも、取り終えた後でなければ、この時間からの別れを感じることは出来ない」

何かが分からないとすれば、それは、制限によって繋がりが明らかになるという事実である。体験が不足している。体験が不足しているが、増やそうと思って増やせる類のものでもなく、慎重な、眠りと見紛うような進行が時折必要になることもある。

「この場所で、何か焦っているとすれば・・・?」

それは若くして生まれてしまったという焦りだと言える。生まれるにしても、随分と若過ぎたのじゃないか。時間が経過するだけだと言う。しかし、時間が経過するだけで済む瞬間などひとつもないことを感じている。

<533>「関心と寛容」

 必ずや、分からないことが現れて、ここにある。この道を、どう進んでもどう戻っても、私にはそれが分からなかっただろうし、これからも分からないのだろう。そのことを知って、

「安心している?」

いや、同じ場所に住んでいるという幻想を、迷いなくここに捨て去るだけだ。ならば、お互いが見えているというこの状況だけで、まあ良しとしてみなければならない。

 無関心が、そこで深くなればなるほど、

「寛容だね」

しかし寛容を目指す人びとは、そんな達成を不満に思うだろう。関心を強く、もっと強く、していけばいくほど不寛容に。

「しかしこういった歩みこそが大事なのだよ・・・」

と、本当なのか嘘か分からないことを言って、ただその過程も既に無関心な者の視界からは外れている・・・。

<532>「丁寧な接触」

 ひどく静かな雨だった。それを、確かに聞いているから、まだまだ思い出し、思い出さなくてはならないもので埋めている。君には、丁寧な訪問が必要なんだ。何故だか、そこで答えることはない。不可思議を思いのままに変更し、なんとなく見つめている。君を見、人を避け、ただこのままでは溢れるものばかりでいっぱいになるだろう。

「なだらかな道を・・・機嫌の良い、健康な道を・・・」

ひとつだけ嘆きまた回転するものから順に表情を緩めていくことで、この歩み方を知るのだが、そうか・・・。

「そうか、前から知っていたことはこれだったのか・・・」

夢でないことだけは確かな明るさ、それから執拗な暗さのなかで、何を惜しんだらいいのだろう。捉えきれないものたちを前にして、時折笑うしかないのだろう? これは、声の聞こえ方は、これからこのままでいいものかどうか。

「判断を・・・私にいつかは判断を・・・」

惑いとそれからに、似合ったものを用意しろとは決して言わない。それはただの覚悟で、優しさだったのかもしれない・・・。

<531>「嘘を追う」

 私は、嘘を追っているような気がしました。嘘を追って、心の中ですみませんと繰り返すものの、景色が各々で回転するのでどうしようもなく、ひと揃えの招待をともに見破る癖がついてしまっていたのかもしれません。どうやら、この恩恵を被るや否やの議論がやかましくなる横で、どのようにも拡大出来るとする発言はその場をただひたすらに沸騰させていきました。ああ、どうなることやら、正反対の言葉を、次々に繰り返してもらえますか? その時々で反応という反応にくらくらし、回答から遠いものをぶつぶつとつぶやく程度にまでは回復してきたと言えるでしょう。謎が多い、なんてつまらないことです。これは、謎なんかではなく、そう、何でもないのです何にもないのです。種明かしをする必要がないので、どんと構えている。そのなかに元気やら感じまでもが染み込んで、とてもとてもこのままで感想を述べるだろうとは思われませんでした。

 しかし、一度これからというものを想定してみたらいかがなのです? どうでしょう、それは必要であることを順調に裏切って情けなさとともに進んでいくと思われますが、なにここで一時的にまとまったりほどけたりすることの心地良さを感じていればまだ大丈夫なのかもしれませんが、追いかけるべきでないものを追いかけているのだと考えたことはありませんか? あなたはもう、追いかけないのです、何故でしょう? それは、ここにいることを大事なことだと考えていて、しかも移動がスムーズだからでしょう。ところで、ふいにこの場所が全く何の関係もないものに見えてきたときは、視線を今一度内側に戻してみる必要があります。

<530>「数々が似る」

 時折ここで、重なっているように見えるもの。その足で、滑っているように見えるもの。まだ、乾燥気味の空気から抜けきることもせず、後ろを振り返り振り返り、投げやりな態度が地面に映っては消える。

「どこまで戻ればいい・・・」

いや、戻るのではない。ピタリと正常値にとまったような、気がするだけの変な時間を過ごし、やたらめったら考えを動かしてみる。これは、およそものを考えるということのなかでもっともその本質に近いものであり、またもっともめちゃくちゃなものである。

「自信がありますね・・・」

事前に持っている自信などは大したことがないのかもしれない。発するまで、自信なのかどうかも分からないものが一番の安定感を誇っている。これは笑っていいことなのか。どう出るか分からないことに対して、その後に笑ってみるというのは、子供的で、自然な素振りで好きなのだ。

「では、こういう歩幅はどうでしょう?」

誰であるかということを問わず、惑いであることから身を離さず、情け深い検討に咲くもの、それは、またとないこの夜を越えて、生暖かさのなかで明日を眺める姿勢となる。

「ああ・・・何という感覚の数々・・・それがいちいち私に似るのでしょう」

こちらに似るものは、数えられることを必要としない。

<529>「呼吸の知らない場所で」

 適当にこそなれ、それだけの望み。静かに淵をかいて、またそれは、私の呼吸。一息ばかりの秘密が積み重なり、拡がって、音の無い群れ、呆然と眺めるもののこと。ここを訪ねる人々、不思議と笑み、ふたつ残し、感情から別れ別れてひと休み。

 この時間に、この場所で、ひたすら休憩になるものだろうか。関係のない興奮とともに、そこまで歩き、また歩き、あれやこれや、択ぶ先のものならどうであろう? 特別な警戒が一応必要になるという空気が、確かにここまでも伝わってくるのだが、それに対して応える、

「う~ん、今一度」

と。

 やはり、よく見るものの類ではなく、珍しいものから順に倦怠の対象とされ、同じ拍子の繰り返し。時計の音が、耳にハッキリとして来る。眠りから、あるいは覚醒からも遠くなって、見たこともない場所で、大きく伸びる。ここからどこに続いているかなど、知るはずがないと考え、またあの音を聞くとはなしに聞いている。

<528>「あまりに生身の手」

 あまりに膨張、あまりに淫ら。その影を眺める者も今はなく、ひしゃげた風景をゆく。なまめかしく、なまめかしく。これではとても、濃密な絡みにはなれまい。

「足であれ、足を使え」

それもそうだが何故か手だ。強制的にスローモーションで、身体の中心線を順々に撫ぜてゆく。あたらあたるらしいポイントで、同時に動く向きと息。

「さあ、もう少し休み休み行ってみようではないか」

これは、では、不断の緊張であったのだろうか。イヤイヤ、という否定の、笑顔のなさ、位置のズレ。同じ部分を残しながら、主な感想はその姿を変える。では、その場を後にした方はと言うと・・・それが眠りなのだ。

「見てください、これが裏側だと言ったら驚くかもしれませんが・・・」

なるほど表情は、制限を超えてなかなかに勝手放題したい放題。どちらからともなくブツブツ言う音が漏れる。これは空か・・・?