<527>「赤い色で見る」

 半透明の、そこのあなた。見えているもののうちで、一番うさんくさいもの。もっとも、あなたは透明のことしか考えていない。透明だということしか。考えるのはいつもそのこと。

「私はまるで、ここにいないようじゃない?」

 あなたの、ただそこにはめこまれているだけではないだろう眼球は、辛そうな周囲の視線を、何の表現として受け止める? 当然、それは透明へと向けられたものではない。僅か、触れたばかりの過ちが、輪郭を、輪郭という表現を照らし出す。

 「あなたは、暗い、執拗な、赤い色をしているではありませんか・・・」

変な匂いを嗅いだ。それは、妙な情けなさを映すように思われたが、匂いはともかく、ここは少しくうるさかった。いや、徐々にうるさくなるものを聞いているのだと思われた。

 「私は、たったひとりで、ゴボゴボと鳴る大音量を聞いていた。私は、その音を、誰にも渡したくないと思っていた・・・」

優しさも、ここでは、影を薄くするに足りない。見るという行為が、こちらからの一方通行であれば・・・。それは、願いというより、みだりにものを貪る姿だと言った方が早かった。

<526>「情けないままの」

 別の自分をどこかに任せてしまう訳じゃない。どこか他人事なのねと、目で言われ口で言われ、なるほどそれもそうなのか他人が、マイナスのなかから私に出てきて、

「誰だ、誰だ?」

と揺すぶっている。

 大きな顔が、場所もなく辺りをウロウロし、何を投げ何を捨て、何をまたここで口ずさむのだろう。あら? 渡されたものだけここにあり、渡されていないものは別の場所で、驚きと不確かな怒りとなる。

「出してくれ・・・出してくれ・・・」

 放出の映像に直面し、ビリビリした周囲の表情が数を増し、それを見て初めてうろたえたことに気づく。私から出るのじゃないか、うろたえているのはそこなんだ。

 情けなさがなくなったら駄目なのだという悟りは、きっと皆にも用意されて、そんなことを分かって得意なのはとても嫌なのだと、ここで下を向かせてくれと。地面はあくまでも移動をとめないし歩かせようともしない。

<525>「一体、一体」

 全部が全部おんなじ問いを必要としている、のではなく、結局ひとつの問いに全てが集まってくるのでもなく、問うということそれ自体が、そのひとつ事を、ひとつ事だけを指しているのだということ。つまり、

「一体、これは・・・?」

という言葉が全てで、その後に続くあれやこれやは一切関係がない、枝葉でもないということ。

 バラバラになるもの、最初からバラバラでしかあり得なかったもの、その増加に、待ったをかける。

「ひとつの体でしょう」

と。

「ひとつの体ではなかったりするのだろうか」

と。

 ひとつの体であるという前提からスタートし、それを当然だと思っている一方、根本から湧き上がり続ける疑念は拭えない。

「一体・・・一体・・・」

と、辺りを亡霊のようになってうろついている。生の営みを眺める意識は、ひとつの体であることに対する絶えざる疑いを持っている。意識は、どこからか、一体でないという情報を受け取り続けているのだろうか。しかし、動くということはひとつであるということの証明なのではないか。

 理解を混乱させる原因となっているもの、それはスイッチのこまめな切り替え作業である。ならば、消えっぱなしあるいは点けっぱなしのどちらかであることで、何かを掴めるのだろうか。消えっぱなしなら確かに一体となる。しかし掴んでいるかどうかを知ることがない。点けっぱなしとなると、掴むには掴むがそういうときは大抵ひどく歪んだものを掴まされることになっている。

「一体々々なんて繰り返して、そんなのおかしいじゃないか。あなたはそこでそうやって動いているではないか?」

そうなのであろう。しかし、一体というものがどういうものなのか、感覚的に分からないのである。だから、お手上げとなって眠る。知らないところで調和が完璧に成されている。であるから、寝起きの顔は、誰を取り上げようともとぼけているのだ・・・。

<524>「無表情という仕事」

 何故だ、何故こんなにまでしてそこから呼ぶのだ? 何故か、何故かを教えてやろうか? お前が、その呼ばれるつもりもない表情を見せてニタニタと笑い震えることを、こちらでは求めているからだ。

 ふざけた期待だ。だいいち、笑いや感情などは即座に放り出し、無表情の列へと滑り込むのだが、そこで新たに掻き回されても誰も何も言わないのはさすがに怖かった。あー怖かった、そう思う私は感情でした。恥も内紛もありません。何故なら、無表情というものはひとつひとつが仕事であったからです。

 あちらからその警戒を抜け出して、混ぜ合わせたものが本体です。ああ、なつかしい本体。ここまでまとまっているから感動的でしょう? しかししかし、バラバラなものが協力し合って集まっているという考え方の全てが間違いであったなら? びっくりして、走るのも忘れるのだが、走ったところで辿り着くという状況もないのだから、同じところでよく回転し続け、広くそこここに染み渡っていく。安心してほしい。これは何も、ふざけた期待に対する答えを出そうという試みではないのだ。

<523>「声の跳躍」

 しなやかだから私、ただの事だしどうしたらいいの? それは、順番に声になること。いちいち聞いていたら分かるだろうことを隣に渡す。

「おや、こんなもの、とっくに断ったと思っていましたが・・・」

「いいや、いやいやどうして、あなたがたの確認のなかに存するのですよ」

 驚きが必要になる場面であることが分かったのだが、さてどのくらいのリアクションを取ったらいいのだろうか。大抵の場合、大き過ぎたり小さ過ぎたり、ちょうどよさの驚きはもはや驚きから離れ、適当な休息の場所を見つけると、数多の日常動作のなかへ還ってゆく。

 いとも簡単に跳躍を繰り返していくので、何故にそれだけのリズムが生まれるのでしょうあちこちで弾けるものが、どちらかと言や賑やかでしょうとまずは言う。

<522>「一秒がやさしく盛り上がるなら」

 よく見るとそこは満杯であった。

「どうです、満足したでしょう?」

「いえ、満杯ではありますが」

ここはここで終わりです、そう区切りをつけて満足、しかしどうかなあどうかなあと思いながら満足になることがないひとつの道筋を感じている。

 「合間々々に寝なければならないのは何故でしょう?」

「それは、覚醒がひとつの現実であるためです」

ひとたび外へ出ると、夜が夜自身の想定を超えて異様な拡がりを見せている。声をかけると、涼しさと暖かさがちょうど同じだけ満ちて来て、そうか、私も記憶のひとつであったのか。今の今まで忘れていました。

 「楽をする場所に、ここはいくらか相応しいのでしょう?」

「ええ。ですが、ちょうどよい場所はいくつもの夢を含んでいて、そこから択んでいる姿を見せることは決してしませんよ」

交代々々の狭間、そして、ひっくり返る気持ちと行動を共にし、感動する呼吸も既にない。一秒一秒がやさしく盛り上がるのなら、それ以上必要なものは、もう何もないのだということを、誰に説明するでもなかった。

「それは、満足でしょうか?」

「さあ・・・。こんなことは普段考えてもみませんので・・・」

これからもまた見ていくものだった。

<521>「内証のまま」

 内証の訪問で、見えないものの回転にぐらぐらと巻きこまれ始めて久々の休憩。それは、ひたすらボンヤリしていく過程に思えた。順番を示すとき、私が把握していることはそれほどない。その程度の理解で充分だと言わんばかりの振舞い、静かに降り、見る夢の多さを懐かしく思う。

 きっと、何かが用意された訳ではないのだと思う。ガタンゴトンと音を立てながらの眺めであって、いいではないか。納得することがそこまで大事なことだとは思わない。誰に対しても疑問であれば、それを行進とするに足る。どの角度から覗いているのだろう表情。よくよく走ってみて、息を切らすもまた表情。分解された溜め息をそこここに見留める。

 調子と私とは当然別のものではない。が、必ずしも同じものとは言えない。ひたと寄り添いながら、お互いがお互いを無視しているような感覚に陥る。奇妙なものだ。あちらが決まるからこちらも決まるのであって、ではあなたはこちらなのかと言えば別にそうとも言い切れないところが多分にあるのであろう。充分な笑いを含ませてくれろ。ただし、笑いによって一致を見る訳ではないことは一応言っておかなければいけない。一になるというのは幻想なのだろうか? それとも、一であるところから様々に分けてこないとやっていられないのが、私であるだけなのだろうか。