<2979>「私が生を掴むために」

 ねえ、

 生きていることが、

 とても楽しかったらどうする?

 うん、

 別にどうもしない、

 うん、

 どうもそうなのだ、、

 私は、

 生きているということが本気です、、

 現実の時間に、

 うまくくっついてこれたのかしら、、

 

 私には、

 嫌いという感覚など、

 存在しないと思っていた、

 でも、

 ちゃんとあるんですね、、

 本気になってやりたいと思えば、

 本気でないことに対して、

 嫌いは発動します、、

 私は、

 こんな熱のなかに居た、、

 こんな風景のなかに居た、

 はじめて生きている、、

 私が生を掴むために、

 真剣さは不可欠だった、

 はじめて生きている、

 なんだか分からないけれど、、

 からだじゅうから涙が出てくる、、

 私は水に流される、、

 あなたのはじまりの場所、、

 わたしは存在する場所、

 ひとつの日の中、

 ひとつの命がよんでいるなか、、

 

 あたしには絶対通したいものがあり、

 それが、

 だんだんと育っているのを感じると、

 ドキドキする、

 ドキドキするだけではないですね、

 純粋にこわかったりもするのだけど、

 どうだろう、

 どこまでいける、

 どこまでいけるとかではない、

 こんなところで、

 倒れてたまるか、

 こんなところで、、

 終わってたまるか、、

 そういったくやしさは、

 どこから来たろう、、

 生きていることを、静かに見つめて、、

 あなたの道を、

 たとえば誰もけなさなくなって、

 ほめられるばかりになって、

 もの足りなくなっても、、

 なにくそ、という気持ちは忘れない・・・