<2974>「素直なかたち、からだ」

 先が見えるということと、

 実際に生きて、

 のち、本当にそうなるということのあいだには、

 ひとつの距離がある、、

 私は身体で、

 身体で学んでおくことがまず必要だ、、

 あたしは非常に暗い時刻につき、

 そこで身体を少しずつ振る、、

 少しずつ生きてきたもの、

 ああやがて通路が見える、、

 

 あたしには語りたいことがない、

 本当に人が好きなんだろうか、

 乗せられて、

 興奮するということはある、、

 好きになるというのは時間で、

 段々作られていく意思のようなものか、

 

 からだがしずかな場所へ来て、

 あたしはみずからが定めた運動を、

 繰り返す、

 これはどこへ行くの、

 と問わなくてもよい、、

 失敗してもよい、

 失敗したことに対して、

 調子に乗らないようにすれば、、

 意外と失敗はテンションが上がるものです、

 それに対して、

 段々ならしていく術を持つこと、、

 これは気持ちのいい遊びだ、、

 あなたにはこの声がきこえるかもしれない、

 私はからだを起こしてくる、、

 なにから集まり、

 なにからつながる、、

 

 私はひとつの、

 かたちのなかま、

 かたちのなかまからえる、、

 ひとつの流れ、

 ねえ、

 そのかたちのなかに、

 なにも見出せないとしたら、、

 それは私の持って来るものなのです、、

 多分生まれるまえからの、

 いちいちの仕草なのです、と思う、、

 

 すなおなからだが、

 今ここら辺りに住んでいて、、

 あたしは道を見、

 ひとつの空の形を見、、

 ひとつの風景を見、

 からだにかえり、、

 からだから生まれ、

 ときおりよく見、、

 よくさわられることで、、

 時間を得る・・・