生活環境が、
気分に密接にかかわるということ、
だから私は掃除をする、
だから人間は掃除をする、
きれいにする、
それはよく分かる、
一方で、
環境があれていようがそんなことはどうでもいい、
というか、
荒れたいなら荒れたらいい、
私だって放っておくから、
という気分もあり、
だから私は掃除をしない、
人間は、
ゴミの山を作ってしまう、、
私はゴミ屋敷には居ないが、、
ああいう状態を、
まったく私には無縁のものと、
考えて安心することもできない、、
日々、
刻々と生を深めていること、
日々、
死に始めているということ、、
生が深まることと、
死ぬことに近づくことは、
多分時間の方向が同じなだけで、
同じ物事ではない、
矛盾している、、
その矛盾したものが、
同時に進んでいるところに困難がある、
どういう困難か、
生が深まるだけなら、、
なにも、立ち止まらず、、
ただ日々を励めばいい、
死ぬことに向かっているだけなら、
なにも、生の充実など顧みず、
ただ終わりに向かって歩けばいい、、
私は時々、
日常にこの矛盾がふっと顔を出す瞬間に会い、、
驚き、、
ここはきれいになることを求める場所か、
きたなくなることを求める場所か、、
上手く掴めず、、
きれいでも、
きたなくもないその中間地点にたたずみ、、
ゆっくりと身体が減るのを感じる、、
いけないいけない、
水を、
何かまとまりのある物を食べなければ、、
あたしはまた回転し始める、、
なぜ、という、、
水滴の立てる言葉をききながら、
回転し、回転し、、
回転したい・・・