<2630>「お腹のなかにいた頃の話~過去と治療2」

 私は、吉本隆明さんのことが好きで、よく読んでいます。

 

 吉本さんは、おそらくご自身のテーマのひとつであるのだと思いますが、胎児や赤ん坊の話をよくしています。

 

 そこで、私が面白いなと思って読むのは、お腹のなかにいるときに経験すること、生まれてから1年の間ぐらいに経験することは、その人の生涯において決定的な役割を果たす、という考え方なのです。

 それは、特に胎児などは、実験やなにかで映像を見ると、外界からの影響や母からの影響に対してとても繊細に反応することなどが、確かめられるそうなのです。

 

 

 母は、私がちょうどお腹のなかにいる頃の話を聞かせてくれました。

 

 父は、当時、会社の人となにやら良からぬことにはまりこみ、借金をこさえていたそうです。

 家には、金融関係の人から電話がかかってくることもしばしばあり、父は、もう死ぬしかないんだと、自らに包丁を向けていたんだと言います。母は、それにどう対処したかは分からないのですが、とにかくそれを一番近くで見ていたそうなのです。

 

 もちろん、これは母から聞いた話なので、完全な真実であるのか、作り話であるのか、それは確かめようがありません。

 父は今では、ある意味どこか遠い人になってしまい、また、同居時に関係が徐々に徐々に破綻していったこともあり、嫌いや、憎いというよりは、今からどう関係をつけていい人なのかが、よく分からなくなってしまったという状況です。

 

 

 しかしこの話を聞いて、前述の吉本さんの話などを併せて踏まえると、私にはいろいろと腑に落ちることがありました。

 

 何故、あたたかい日曜日の光景が、私にはずっと気持ち悪く、違和感しかなかったのか。

 何故、私は家族という形式を信じていないのか。

 何故、人と溶け合わないのか。

 求めに、応じないのか。

 

 それは、この、胎児の頃の否から、既に出発が否であるところから、この現実に来たのだからだと思いました。

 

 そう気づくと、いろいろと思い当たることがいくつも出てきます。

 

 私が、家族を含めた他者といるとき、「信じる」と「諦める」との違いを考えることに、それは繋がっていきます。