というのも、それは私がどういう人間であるかが、一瞬で分かってしまうから、というか思い出されてしまうからなのだが。
商売上の意図であれ、興味本位であれ、何の目的もないことであれ、私は、女の人にスキンシップを図られると、それだけで簡単に好きになるようなところがある。
一方で、その好きな気分というのは、触られた日から数日ぐらい続き、しかしその後特に同じような出来事がなければ、あっという間に失われる程度のものでしかないような面もある。
好きだったこともすぐに忘れてしまう。
冒頭で思い出されると書いたように、別の人にスキンシップを図られてはじめて、連鎖反応でやっとそういうことが前にもあったことを思い出すことが出来る。
要するに、私は、現に私のことを触っている人が好きなだけなのだ。
これは、恋人を作ることがいつまでも分からないこととも関係している。
つまり、仮に恋人がいたとしても、今この時点で、恋人ではない誰か別の人に触られていたとしたら、その時間は私はその触っている人の方をこそ好きになるのだ。
だから、スキンシップを図られる場面に出っくわすと、二重に切なくなる。
それは、今この瞬間はこんなに嬉しいのに、実はその嬉しさはほんのちょっと時間が経てば忘れてしまう程度の嬉しさでしかないことを、触られているそばから感じるからであり、
また、私は人との関係の深さなどではなく、現に触られているかどうかが全てを決めてしまうような、全く人との間に物語も作れない変な好きの構造しか持っていないことを、その場の自身の盛り上がり方で感じ取ってしまうからだ。
好きな人がいるのではなく、好きになる状況だけがあることは、今まではなるべく見ないように、認めないようにしようと思ってきたのだが、最近は大変苦しいことだと認めるようになった。
基本は好きだから、積極的に触れてほしいと思う反面、自分の構造に向き合わされるのでもうやめてくれと思う気持ちもある。