生きていて楽しいのって、訊かれたことがあるのだということを、今までに何度か書いてきた。
これは私のなかの重要なテーマのひとつになっている。
私は、生きていて楽しいとか楽しくないとかを、あまり感じない人間なんじゃないだろうか。
そんな風に思ってきた。
実際、生活の線上にポツポツとやることを設定して、静かに時を経過させるのが性に合っているし、そういった淡々とした生活を送っていると、精神が安定してくる(時々自分なりにハメを外す必要はあるが)。
しかし、最近はまたちょっと違うことを考えている。
ある楽しみが自分のなかで深まると、どうも私は、表面的には限りなくノーリアクションに近くなる性質らしいのだ。
内部での感情の揺れみたいなものも、ほとんどなくなる。
前までは、それは楽しんでいないことと同じなのだと考えていたからこそ、私はあまり楽しみを感じられない人間なんだと自己を解釈してきた。
でも、どうもそうでもないらしい。
例えば私は家で野球の素振りをする。
これは毎日する。
毎日するので、別に素振りをすることに対して、どうという気持ちもない。
特に嬉しそうなリアクションも取らないし、ニコニコもしない。はしゃがない。
じゃあ何で毎日するのかと訊かれれば、それは、毎日淡々とそれをするのが気持ち良いから、楽しいからとしか言いようがないことに気がつく。
表面的には全く楽しそうでもない。むしろムスッとしているぐらいのものなのに。
他の人にもはっきりと分かるぐらい、表面的に楽しそうであることだけが、楽しんでいる姿ではないんだ。
傍目には全くつまらなさそうにしているように見えるものが、むしろ静かに楽しみが深まった姿であったりもする。
ハイテンションではしゃいでいるのでなければ、楽しんでいないことと同じなのだ、というのは、私のただの思い込みだった。
感情の揺れが感じられなくても、無表情でも、実際は楽しくて仕方がないこともある、というのは、まず私自身にとって大きな驚きであった。
そんなことを今までに考えてみたこともなかった。
生きていて、楽しいのかもしれない。