<2286>「試し酒と虚空蔵求聞持法」

 試し酒という落語がある。

 近江屋の旦那が外回りの一環で、ある店に寄り、そこの旦那と二人話し込んでいる。

 そこの旦那は近江屋の旦那にゆっくりしていってくれ、久しぶりに一杯やろうと言うが、近江屋の旦那はまだ仕事もあるし、外に下男も待たせてあるから、また今度のことにしましょう、と言う。

 とふと、近江屋の旦那の方から、そういえば今外に待たしてある下男というのはべらぼうに酒が強いんです、という話が出る。どのぐらい強いのかというと、聞いた話だがいちどきに5升は平気で飲むんだと。

 するとそこの旦那はいくらなんでも5升はないでしょう、それならその下男をここへ呼んで、本当に5升飲めるかどうかひとつ賭けをしましょう、と持ち掛ける。

 下男は酒が好きだからこの賭けの話を嬉しそうに聞いているが、自分とこの旦那が賭けに負けたら莫大な金を払わなければいけない約束になっているのを悟り、真剣な顔つきになって、ちょっと表へ出て考えてくるから待っててくれ、と言う。

 決心がついたのかしばらくして下男が戻ってくる。酒を飲む。どんどん飲む。本当に5升飲んでしまう。近江屋の旦那は賭けに勝ったわけだ。

 負けた方の旦那もびっくりして、下男に質問をする。お前はさっき表へ出て考えると言ったけど、なんかこれをしておけばいくらでも飲めるとかそういうまじないでもあるんだろ? それを教えてくれと。すると下男は笑って、いやあ今まで5升と決まった酒を飲んだことがなかったから、本当に飲めるかどうか、さっき表の酒屋で試しに5升飲んできたんだ、と・・・。

 5升どころか都合10升も飲み干していましたというオチがついてこの話は終わる。

 

 私は比較的この話が好きで何回か聴いてきたのだが、いつもただ観客の立場で、またはどちらかといえば下男よりも、近江屋の旦那とかその店の旦那とかの立場に立ちながらこの話を聴いてきた。下男の側に立ってこの話を聴いてきたことはなかったのじゃないかと思う。

 しかしこのおかしくも真剣な下男の気持ちが最近ふっと分かるようになった。

 

 虚空蔵求聞持法という修行がある。

 空海さんが行ったものとして有名だろう。

 私は、ずっとこの修行に憧れている。進退窮まり、どうにもならなくなったらこれをしようと半ば本気で思っている節がある。

 しかしこの修行、成就せずに失敗したらそこで死ななければならないという。

 ちょっと待ってくれ、死ななければならないのか、確かに進退窮まったらやると思っていたけれど、死ななければいけないとしたらどうだろうな、出来るかな、意志が強ければ出来るという訳でもなさそうじゃないか? ならちょっと1回修行という形式の外で、同じことが身体的物理的に可能か試してみようか・・・。

 と思考が転々としたところで、急に試し酒の下男の気持ち、阿呆だなあおかしいなあとしか思わないで聴いていたあの話の、下男の気持ちが急に分かるようになったのだ。

 そりゃあ出来るだろうとは思う、でも万が一ということもあるからちょっと別のところで試させてくれ、と。

 いや、試しに出来たらもうそれは成就したっていうことなんじゃないの、じゃあさっさと本番に入れば良かったじゃない、というのは、外から見ているときの話で、いざやるとなったらそのお試しは必須であるように思えてくるという、なんだか、この試し酒っていうのはただおかしい、とてつもない下男だな、あはは、というところだけには止まらない話だぞ、ということなどを感じ始めたのだった。