<1927>「遠くのものも、巻く」

 あたしはそのなかのおとに包まれて、、

 ひとつの様子で出てきたに、違いはないのだろうけれど、、

 今はその響きはどこにいる、、

 私は歩き、訳も分からず、ここへ身体をつけ、、

 それから、脈が打った、、

 はつ、はつ、と、その姿は盛り上がり、、

 今ここまで来たのだな、、

 良いですか、

 この波に当たって、、

 いとも簡単に揺らぐこと、揺らぐ、、

 その目的を、どこかに・・・

 

 自身だけでいればぼやけてしまうから、、

 反対のもの、、

 ただ快いだけとは言えない場所も、

 上手く欲望を作るのだということが知れました、、

 私はまったくひとりで沈黙していたい、

 と思うと、、

 なにをかを交わしてそれで元気になっているみたいだと、

 感じることもあります、、

 あたしはただ訳も分からずここの振動線へ、

 出てきたということみたいです、、

 それは如何様にきき、、

 わたしは身体に波をつけた、、

 静かな時刻がここにあるけれども、

 どれかどれと知り、、

 そのさきわう地点を見つめる目、

 あたしは細い時刻に出て、、

 いまそこにふるえるままにして、いる、、

 

 回転の日々はあなたにどう聞こえているのだろうか、、

 私はそれを知る手立てもいまのところはないのだが、、

 存分に増えたものが、、

 その道を横切る、

 ああ、私たちは、

 良いとか悪いとかで一緒にいる訳ではないのだな、、

 自分が何者であるとかは他人のなかに出ていけば直ちに知れることだ、、

 ああぼやけて、、

 しかし私はどの日どこに立っていても、、

 この具体的な運動のまとまりを信用している、、

 それが具体的であるというところで、、

 

 あなたはこの刻み方につれだんだんと内部で膨らんでくる、、

 その割に、だいぶだいぶ静かになってくる、、

 道行きを渡すもの、、

 また、知らないところへ迷うようにして、出て、、

 はなを咲かすもの、、

 全てをここで考えようとしてしまう意識へ、

 身体の進歩を見せる、、

 戸惑う、戸惑う、、

 さて、一緒にきたらいいのだった、、

 あなたも何も、

 ここへ一緒にきたらいいのだった、

 遠くから、

 この回転のなかへ混ざるならば・・・