<1921>「静かさの初め」

 なにを素直に、

 この点景のなかに生まれて、初めて、、

 私は息をついた、、

 ああ、あるあたりまえのところに歩を乗せ、、

 明らかに私のなかへ、渡ってきたと見える、、

 静かに手を伸ばすのだな、、

 静かに起居動作、

 静かに生まれて、、

 骨も肉もこの時間に上手く含まれて来るようだ、、

 なじみ、、

 私は上手く滑走する、、

 ここで、ここで生まれて、

 遥かな記憶の味がするところまで、本当に出て来た、、

 本当に出て来た、、

 

 なにかしら、回転、、

 発達する、

 私は不愉快にはしゃぎまわるのではなく、、

 暗く沈めてしまうのでもなしに、、

 静かな勢いが自身、底の方で巻いているのを、

 元気だと言いたいらしい、、

 またそうだとも思う、

 また華麗だとも思う、か、それはどうか、、

 この辺には神社があるか、、

 私は、熱心に手を合わせるのは少し照れくさいので、、

 ちょっと外れのところから眺めている、、

 私はこういうときなにを考えるのかというと、、

 ちょっとここと、私の時間を上手く混ぜて、

 合わせよう、と考える、、

 木の葉の揺らがりに合わせて泳いでいると、、

 牛の、快活な汗の記憶を想起した、

 離れているところに、、

 駅も見えなければ、、車も、人も、

 いや、人は少し見える、、

 ここが原初か、

 なにの原初って、

 はしゃぎでも、悲しみでもない、、

 静かな気の兆すところと、

 そう思われた、ここは原初ではないか、、

 

 私と友人との会話は、、

 夏の、暑い、植物の多い時間の、

 静かさを背景にして、、

 みるみるうちにふやけてしまう、、

 家に帰れば、ただ、日差しが強かったという記憶だけが

 夢の中のようで、、

 そういえば、日常的に水を飲んでいると、、

 他の飲み物は、水になにかが加えられているという感じ、当たり前のことだが、その感じが強くなっていくのが不思議だと思っていた、、

 そうなる前は、たとえば水と、お茶とは何かはっきりと別物のように感ぜられていたのだった、、

 私は、そのときこの場所に、いくら溶けたろう、、

 生きることがぼんやりして汗の先まで行き、、

 そこでひろがるのに、、

 私は寛ぐことができた・・・