なにを素直に、
この点景のなかに生まれて、初めて、、
私は息をついた、、
ああ、あるあたりまえのところに歩を乗せ、、
明らかに私のなかへ、渡ってきたと見える、、
静かに手を伸ばすのだな、、
静かに起居動作、
静かに生まれて、、
骨も肉もこの時間に上手く含まれて来るようだ、、
なじみ、、
私は上手く滑走する、、
ここで、ここで生まれて、
遥かな記憶の味がするところまで、本当に出て来た、、
本当に出て来た、、
なにかしら、回転、、
発達する、
私は不愉快にはしゃぎまわるのではなく、、
暗く沈めてしまうのでもなしに、、
静かな勢いが自身、底の方で巻いているのを、
元気だと言いたいらしい、、
またそうだとも思う、
また華麗だとも思う、か、それはどうか、、
この辺には神社があるか、、
私は、熱心に手を合わせるのは少し照れくさいので、、
ちょっと外れのところから眺めている、、
私はこういうときなにを考えるのかというと、、
ちょっとここと、私の時間を上手く混ぜて、
合わせよう、と考える、、
木の葉の揺らがりに合わせて泳いでいると、、
牛の、快活な汗の記憶を想起した、
離れているところに、、
駅も見えなければ、、車も、人も、
いや、人は少し見える、、
ここが原初か、
なにの原初って、
はしゃぎでも、悲しみでもない、、
静かな気の兆すところと、
そう思われた、ここは原初ではないか、、
私と友人との会話は、、
夏の、暑い、植物の多い時間の、
静かさを背景にして、、
みるみるうちにふやけてしまう、、
家に帰れば、ただ、日差しが強かったという記憶だけが
夢の中のようで、、
そういえば、日常的に水を飲んでいると、、
他の飲み物は、水になにかが加えられているという感じ、当たり前のことだが、その感じが強くなっていくのが不思議だと思っていた、、
そうなる前は、たとえば水と、お茶とは何かはっきりと別物のように感ぜられていたのだった、、
私は、そのときこの場所に、いくら溶けたろう、、
生きることがぼんやりして汗の先まで行き、、
そこでひろがるのに、、
私は寛ぐことができた・・・