<1825>「無声(2)」

 とても巨大なものに常に対していたと感じるのは、私が大人の腰の高さぐらいしかない子どもだったからというわけで、、

 そうすると、私のなかの点の記憶も、

 実地を辿れば巨大ではないのかもしれない、

 ということに、気づくのは嫌ですね、、

 嫌だけれど私は実地をまた訪れたい、、

 なにかそこの賑やかなさわぎは続いていてもいいし、

 終わってしまっていてがわだけが残っていてもいい、

 あなた東京ドームを知っていますか、、

 良いですよね、

 現地観戦の魅力は、あの異様なドームの魅力が大きいという気がします、

 それは大人とか子どもとかの違いが霧消するほどには巨大なのですが、、

 子どもの視点でまたここを体感出来たら良かろうな、と思うことはあります、、

 勿論子どもの時代に戻りたいということはありません、、

 美しい記憶を惜しいと思うことがないのかい?

 というより、日常雑事が大半であるものを、もう一度通過しに行くというのは苦痛であろうと思われるからです、

 過去はその特殊部分の記憶だけで良いと思います、、

 

 猫が私に嬉しいのは、つくも良し離れるも良し、、

 ふと消えたかと思うと現れて、いつまでも寝ている、

 そこになんのてらいもない、自在なのだと思います、、

 人に不要な悪感情を抱かせず、ここまで自在になれれば、人間としてもとても良い、

 そこを目標に置けば、人間を日々重ねていくことも悪くはないというか、

 とても涼しい気持ちになるのではないでしょうか、、

 私はそういうおばあさんに会ったことがあります、、

 会い直したと言ってもいいかもしれませんが、

 思うまま、自在に動き、

 涼しい風を吹かせ、私もここへ居てひとりで自由になるような、そんな人が、、

 人間を重ねてあそこまで私も行けるでしょうか、、

 

 私は四角形の、白い建物の、

 かなり上の方にいて、、

 あんまり静かなので、このなかには人が一人もいないのかと思うほどでしたが、、

 あなたもそこにそうしてひとりで生きていたので、

 どうやら私はここに話に来たのでした、、

 そこにいる、2人の人が、

 そこから言えば遠い現在の、このほうけを持ち込める訳はないのですけれども、、

 この現在の、明らかなほうけを疑問にして、

 あなたに投げかけたらば、、

 あなたは、この人どこにいてどこから声を掛けるのだろうと、

 思うかしら、、

 それはよく分からないけれども、、

 私がここにいて一から十まで不思議なのが、、

 あなたにはまるで感じようがないとなると、

 不思議ですね、、

 外が暗くなって、

 私はちょっと、いつもより急いで帰ろうかなと思うのでした、、