<1586>「達人的な風」

 随分身体の在り処を確かめるような時間が続いたものだ、、

 身がひとつで、ひらいていく、、

 それが一個、一個で、非常に頼りなくは見え、、

 しかしそれ相応に、徐々に徐々に、ひらいていくもの、

 が、ここにはっきりとは見えていた、、

 

 おそらく、わたしがわたしで良いと考えるようなところは全く見当違いのところなのであり、

 おそらく、わたしが良いとか悪いとかを全く掴まえることが出来ないところなどが良いところなのであるから、、

 身体は、常に、複数の視線を必要としているのでしょう、、

 振舞いのかたいところ、、

 身体が揺れず、

 とどまり、進んでいかないところを、、

 笑いながら、ちょっと眺めていた、

 これは、このままで、どうなるというものでもないが、、

 このままで、どうなるものでもないという、仕方で、放っておく、

 

 夢の作為のさま、、

 明け方近く、もういくぶんも論理が通って、筋道がついた状態の、夢は、おもしろくも、退屈であるという、印象に、ぶっつかっていた、、

 このごろ、ぼやぼやと考えるものなどは、一向に出て来ないので、

 なんだ、なにか、見ていた、困ったな、別に困ることなどはない、

 ただ、こう自在に見えたらば仕方のないものだという気はする、

 

 現実生活で自在になるってのは良いもんですね、

 一個人の、小気味良いリズムで動いて、

 あたしなんぞ、もう少し気を使ってしまうものだのに、

 ここにいて応対しなくちゃならねえのじゃねえのじゃねえかなんて長いことおほほ、

 でも自在、どんどん自在だからそんなことは構わぬものか、

 いやそうじゃない、

 構わぬものか、という力感すらがもう入っていないのね、、

 だから、、

 最初は呆気にとられるけれども、

 後で吹く風の吹き方というものが良いよ、それは、

 そういうのはもう達人だと思う、、

 風の吹かせ方は馬鹿にならない、、

 

 気分の波というものがありますか、、

 このごろぼやぼやと考えて面白いと思っているのはここらへんのことなんですけど、、

 例えば、良いことがあって嬉しいとか、嫌なことがあって悲しいとかの条件を除くために、あ、なんだか今日は一日ぼやっとしていたなって日を仮定してくださいな、

 その日にね、朝から晩まであなたの気分は一定ですか、ときかれたら、あなたはなんと答えましょう、、

 わたしはね、良いこと嫌なことなにも起きていない日を仮定しても、

 とても調子づいてくる時間と、とても深くへ沈んでいく時間とがあるのです、

 これはね、皆さんそうだと思うから周りの人にききますでしょう、

 そうすると、分かる気がするけれども、

 基本的にはそういう日は朝から晩まで一定だといわれることが多いですね、、

 日が、そのとき深くに入り、身体の印象を吸っていた・・・、