点の位置に、普通の、姿形で、立っています、、
私は、これを、過去に見たことがあり、
過去に、見たことがある以上、ぽっかりと、
あたりまえに感じていました、
無空間、付け足しのないように、実際の肌で、感じていたという、訳なのでした、、
それが、今や、中心イメージ、、
明らかに時間が経ったところ、
明らかに遠方になったのに、、
それは、中心イメージとしてのありかた、姿勢を、、
まったく自然に身に付けているのでした、、
種があり、、
こぶが盛り上がる、
そういう地点にいると、、なんのきなし、、
なんとも言い表せで、ぼうと、
ぼうぼうぼうやりと眺めているよりほかはありませんもの、
それが、中心を占めてイメージを成すのだから、
私はそのとき著しく無形、ただの吸収物質としてその流れの上を揺らいでいたに、違いないのだ、
その流れを見てた、どんどん来るのだもの、
どんどんハいで、どんどんあらわになって来るのだもの、、
私は、点を持っていた、、
あちこちに、あちこちの点を、持って、、
すみやかにここへ移って来た、、
あたしは、現在時を、無形として見、過ごす、、
しかしこの無形のなかから点が漏れ、種が漏れ、、
現在時から中心イメージが出来上がり、、
無音を保っている、ほとんど動いていない、、
・・・、私は、呼吸の仕方かどうか、
その漏れを、余すところなく感得することが出来る、
なにの仕草もなく、、
いや、無形の隙間から長編時間が漏って来る、ただそれだけのことではないかしら、、
種からのびた青い時間をまともに吸い付けて、、
はいた、一両日は全部が通る、
すみやかな流れのなかの過ごし様、
をあまりにまともに見つめていると、、
なにだ、だれだ、だれが、ここへ、イメージを成した、、
身体で鳴らずに、
その細かい糸のひとつひとつに上手くかぶさってくる、
中心イメージはいつだ、、
だれが何をした、
もちろん私は点であるに違いない、、
点は二重になり、間接にもなっているだろうけれど、、
私からであるに違いない、
私の呼吸からであるに違いないもの、、
それを、喜ぼうとか、、
それを、ひとつひとつ探り出そうなどの、
気持ちがないではない、ないではないが、
肝心要のところは、、
中心イメージの隙間に収まるまでに何を発していたか、
あるところ、あすこで、時間が変わるには何故なのか、
音がない、、
私も生きているときに、時々音がないようだと思われた、、