<1568>「無感、無音時のひと息」

 先をそのままの姿勢で眺めていましたらば、、

 わたくし、立ち上がる、

 そのまま、見えていて、失せる、、

 現在時に、無感の底に触れている仕方、さま、、

 まだ染み通って来るまでに時刻の必要な、、

 徐々に身体の方へ傾いて来る、、

 印象を言い、

 印象を歌う、、

 私は、そこからの響きを伝ってきいた、、

 いくらも、いくらも続いてくるものが見えた、

 なにほど、、底から肌へ跳ね返って、、

 

 そして、おそらくは、また現在時の無感、、

 まだこちとらの響きと、、

 向こうに用意されている全体の色味が、

 なにほども隔てられているところ、、

 私の具体的な経験はここで、

 経験はしかしここだけではない、、

 なので、なるほど、無感のまま、、

 身体が印象を咥え込んだばかりでまだただあけらかんとしたところへ、、

 どこへもどこへも揺らぎ、、

 どこへもどこへも流し込まれてゆくようにしたらいいのと、、

 きかせている、

 ためらいを持っている、、

 それをいちいち、一切が一切のうちに動かしてゆくこと、が可能でしかないので、

 ほうけに、ほうけが、

 重なって二重になったようなのだ、、

 その姿は、空間を行きやすい、

 あんまり見事だというほかはないほど、、

 空間を行きやすい身体だ、、

 

 私は虚しゅうするところのリズムだ、

 虚しゅうするところの身体だ、、

 ひとつひとつの微細な動きの数々が上手く鳴ってゆくために、

 沈殿するもの、揺すり、払って、、

 身体が一本のくだ、、

 くだの中心がポンプ、

 一声が、先の、先の姿に当たるまで、

 底からの肌、肌居からの現在時、、

 現在時、無音表現でなければならないところ、、

 (でなければどうして声が通りますか)、

 探るように、、音ジョウを振り当て、

 私は、道を、、そのように徐々に覚めてくるもののひとつとして、

 見た、、

 私にはどんどん響きが溜まり、、

 溜まることで、どこまでもどこまでもここからが過去になる、、

 色味のおとなしさと、、

 塗りが重なり、もういくつもの響きのテーマなのか、、

 これは残骸になるのか、、

 いや、色が残り、、ただまた無音時、、

 現在へ回復してゆく隙をうかがって、、

 しかしこれしか音になり得なく、、

 姿のままはどこへも払われる、

 それをそこでおとなしゅうしてききましたか、、