<1365>「容器の不安」

 間仕切りの外で、、

 私は細かくなって、、

 それぞれの音響を、発声を、

 それぞれで、受け取っているとする、

 描線、

 粘性をあらためて目にするような、、

 私は分かれていく、

 

 陽だ、

 どうして、陽の前で、

 乱雑でありえようか、

 私はただいちかしょを見つけて溶けているだけである、、

 テンポ、

 いくつもの線が、

 線に次ぐ線が、、

 身体のなかを通り、、

 しばらくのあいだ、立体的に、、

 用意された音、は残らず通るように、

 ここ、それから歩くに際して、、

 もっと立体で、 もっと空洞であればいい、

 そうすれば歩くことが出来る、

 と、

 言われているみたいに、

 もう少しこのまま不安げでありたい、と言った、

 それは音のないまま、

 線をかく、、

 ただ垂れているとも、

 ただ曲がっているとも、見える、、

 

 音の、 まったく外へ出ないように、

 間仕切りが、

 膜が、

 そうして、騒がしさを中心に、無音で持ちながら、

 私が闊歩する、、

 どこまでもトォービョーマエは不安げを維持しながら、

 私は闊歩する、

 悠々と、

 もう、溶けてしまった後のようで、

 もう、、身体がいくつもの線を容れた後のようで、

 個物、

 一個物、、

 それから考えは先へ向かう? 奥まったところへ?

 上空へ翻って?

 ・・・、いや、そうではないだろう、

 私がしばらく溶けている響きをききながら、

 また剥がれ、ふらふらと遊離してい、

 このカラのなかに、、

 どうにも変なものだったと思いながらかえっていること、

 ・・・、

 この揺れてかえされる運動の、

 端である身体を持っていて、、

 そこからやや外側へもひろがるものを、、

 じっと、浮かび上がるまで、

 見ていようじゃないか、、

 私はまったくの容器になって、、

 何か、もう少し響きの範囲をひらいていこうじゃないか、