<1237>「基底に置かれた質問へ」

 今緩やかになってただ空気がひゅうひゅう巻いているところのなか、あるいは溶けて無限になってゆくような、、全体と言えますか、全体的な感覚のなかにいて、

 それは喜びでもなければさびしいというものでもなく楽しかったり苦しかったりするようなところはそのなかで小さく跳ね上がったり走り出す、、また大きな表情を吹き出だす瞬間の、ただ瞬間の、あらわれなのであって、基底を這うものではないと言うんです、

 これからがどうか知らないということをイレレバキテイデはなかったと言った方がよいのであるかしれません、、

 騒音も言ってしまえば静かであるところです、

 ひとの ど明るい話し声なども静かであるところなのです、、

 そうして只今からその空気を抜けてまったく騒がしい音そのものになるなどということはちょっと想像の外に出ているのであって、困ります(ベツニコマリハシマセンガ・・・)、

 誰か困惑を、時間をまとめた中心部のところに置いてオイテください、

 それで音が幾方へ向かい、、様々の音が重なったところで自由に想起などしたいと思います、、

 

 尋常正面にケムが巻いていてあたしの表情はオシテハカルコトが出来るか、、

 わたしはエネルギーなどというものを毒的にも静的にも使ってそれでくたびれていないのです、、

 それでぼんやり倒れている映像を持ち出だしてその上に声をかけて眠ります、、

 アルシツモンノコトバヲナガイジカンモチツタエてきた、、

 ただ、運ぼうという意識もなく、、

 ただ混沌とした静的な鐘の音のようであって不思議に向けて真っすぐ、、そうして柔らかく響いていてまだそれが残っているのやもしれません、、

 それはただ得難いのでした、、

 それはあなたの表情から徐々に徐々に剥がれてまだなお続くと思います、、

 長く続いたあとでああこれは上手いことをきいたものだなあとどこかの時点で同時的に思いましょう、

 あくまでも平らな身体に、、

 やらかい手の平がめり込みましたね、、

 それを過去いろいろの眼差しを総動員して見ています、

 

 しずくのなかを当たり前の速さで過ぎ、

 今鳴っているものも鳴っていないものも平等に静かであるのはなになのかをぐるりと巡らしています、、

 例えば手を合わせる位置がちがってもやはりうんと静かなのに違いない、、

 語りの方途はいくらでもあるのにいくらでもあることにより続々溢れてただ困惑のさなかにある人それを不愉快とかこわいとはちっとも思わなかったような時間に雨が当たってひとつひとつ別れてもうこれ以上分かつことが出来なくなったときに先端にぶら下がって数多ある不思議のなかに放られていくこのいくらかの瞬間の連なりをおもいます、

 辺りからいくらも漏れていくこと、、

 香りも今は静か、

 現象に乗って、、

 歩と歩のあいだに伝ってゆく音をなにげなくききいれ、

 それからまねる、、

 ものが辿っただろう道でそのそぶりを静かにまねていく、、