<904>「本気」

 本気で人(ひと)を想うというのはどういうことだろうか。例えば、それなしに私(わたし)は直線を(思い)描けないということ。その場で回転する渦のなかにスコンコンとむなしい音(おと)が鳴り響き、あとには自身の回転が何か他人事のように見えてくること。

 気持ちが、まっすぐに小さな空気に乗り、幾度となくあなたを、それから私(わたし)を震わせたこと、それを忘れることが出来ない。むろん、忘れる必要もない。

 わずかに熱を、燃え盛るもの、を、瞳の隙間から染み出させ、全体の空気がその微細な一角で説明のついてしまうとき、私(わたし)にはむしろ何の苦しさもない。私(わたし)は、あらゆる意味で若かった・・・。

 人(ひと)は湯気になり、人(ひと)はハンバーガーのふざけた味になり、人(ひと)は、電車の光が与える安心感になる。私(わたし)は小さく手を振っていた・・・。あたしにだけ、表情の秘密をそっと渡された、みたく、嘘みたいな明るさのなかで・・・。

 窮屈になってしまおうと思っても、なれなかった。私(わたし)の目が、私(わたし)に、本気であったことを伝えていたから・・・。本気であったことなど、知らなかった。

 軽快なステップは、まだない。ただしわたしはこの目に映った本当の時間の数々をいつまでも忘れることはないだろう。

 ぼんやりとした回転のなかに、震えるは、人々の時間。その全てに安心してひとりの眠りのなかへ進んだ・・・。