<305>「痛さと退屈」

 どこかしら痛いところがあるときは、退屈しないものだ(不快ではあるのだが)。痛いこと、その辛さばかりが気になって、他の何をするのも億劫になる、それは別に間違いではないし順序もおかしくないと思うのだが、そもそも気晴らしに何かをしなければならないほどの退屈が、どこかが痛いときには襲ってこないということもあると思うのだ。つまり、他に何かしなくても、退屈は解消されている。

 空想や妄想などと違い、自分の集中力が途切れてしまえばそれでお終いということはなく、痛みは延々とこちらに押し寄せ続けてきてくれるので、そのリズムに従って、あいたたとか、うーとかの表現を取っていれば良く、なまじ痛みがあるだけに、ふわっと放り出されてしまうこともないので、全く退屈しないでいられる(勿論不快ではあるのだが。退屈しなければ快適だという訳でもないということ)。あれだけ嫌だ嫌だと思っていたのに、ひとたび痛みが治まると、何かちょっと残念なような気持ちになっていたりするから不思議だ。労せずして気晴らしを得られていたということが、感覚的によく分かるからだろう。尤も、また痛みが戻ってきたら戻ってきたで、それはそれで不快なことに変わりはないのだが。