<288>「死から逃れる」

 寿命が尽きて死ぬのと、自ら死ぬこととの間には、何かその、過程の相違というだけでは片付けられない相違がある。木の枝で首を吊ろうとしていた人間、しかし木の枝が折れて下に落っこち、怪我はしたものの何とか一命を取り留めると、

「助かった」

と言ったという笑い話があるが、この奇妙な矛盾には、何となく物を考えさせずにはおけなくするところがある。

 つまり、自死は、死のうとしていることは確かだろうけれども、それと同時に実は、死からをも逃れようとしている運動であるのではないか。さすれば自死の計画が失敗に終わり、それにもかかわらず助かったと漏らしたのも、ただおかしいとばかりは言えないような気がする。ともかくも死からは逃れたのだから。生き物の自然な状態変化、それが生死であり、それは究極においてひとつなのだと考えれば、自死とそうでない場合との相違が一応は納得出来るようになる。生からだけ逃れようとしている訳ではないのだ。また、生から逃れようとすること即ち死からも逃れようとすることなのだから。