<251>「意味から守る」

 無駄なことに意味があるとか、価値のないものにこそ価値がある、という言説は、入り口としてはいいというか、伝わらない人に説明するために、仕方なく取らざるを得ないスタンスであることは確かであるから、そういうようなことを言っている人たちを否定的に言う訳にはいかないのだが(私もつい言ってしまうことがある)、それはそもそもケチな言い方である。無駄なものに意味があると言ったり、価値のないものにこそ価値があると言ったり、それは意味の論理であり、価値の論理なのだ。あるいは、そこから逃れようとして結局吸収されてしまっている論理だとも言える。

 無駄なことにまで何故意味を見なければならないのか。価値のないものに何故価値を見出さなければいけないのか。無駄なものはやはりどこまで行っても無駄であり、価値のないものはやはり価値のないままである。しかし好きだから、何か気になるから残るし、やる人がいるという、ただそれだけのことでいいのではないかという気がする。無駄なものや価値のないものを意味から守っていたい。