<68>「水はあんまり自由じゃないのかしら」

 利かん気、そういうものが意外とぴったりくっついていた。それは利かん気、そういうものの欠如、まあ、欠陥ではないだろうそれが、他人に見られたから気づく。あまりに言われるがままに見え、どうもあそこまで不自由だとあんまりじゃないかと言いたい気がした。人の作った道なりに流れ、水みたく丁寧に・・・。

  水はあんまり自由じゃないのかしら。

 自由の象徴、勿論それは平和の場合のハトのようにはぴったりしていないのかもしれないが、なるほどそれでも象徴として、語られることもゼロではないだろうその水。自在に形を変え、動きを止めず、どこにでも浸透していく・・・。

  水はあんまり自由じゃないのかしら。

 自由というこの言葉の虚しい重さ。扱えるように見せてどこにもないそれ。水には、そんなものは重すぎる、そして下る。名前を付すならもっと自由より軽い何か、それを表す言葉を作ったとしよう、嬉々として使うだろうね、

「自由? そんなもの重てえやあ」

とか何とか言って、これからは俺らはこっちだよね、何て言って。使っているうち、それが、自由という言葉が果たしていた役目と全く同じになっていくことにも気づかず。刺激には慣れるもの。速すぎたって遅いと言う通信。

  水はあんまり自由じゃないのかしら。

 そう、そんな領域で動いていない。どちらが自由で、どちらが不自由なのか、分からなくなったのなら良いことだ。