<10>「宙ぶらりんであって」

 こんなに忙しいんだ、という話に付き合うことのしんどさとは何かを考えていた。それは、繋がり、必要さ加減をアピールすればするほど、人間の持つ寄る辺なさが際立ってしまうという悲劇を見なければならないしんどさだった。本当に必要で、宙ぶらりんではあり得ない存在だったら、木のように、百年も千年も黙って立っているはずなのだ。

 そして、私は話す、宙ぶらりんであることを、何とか否定し続ける為ではなく、宙ぶらりんであることを誤魔化さない為に。しかし、まともにそれを捉え続けると、おかしくなるのが常らしい。果たしてそんなことがあるのだろうか。くっきりと浮かんでいる個数を間違いなく数えて、それでおかしくなるなんてことがあるんだろうか。

 宙ぶらりんであるから、何をしてもどこに動いても良い訳で、では何故、無法な行いや突拍子もない生活に傾いていかないのか、と思うだろうか。それは早合点だ。極端に傾くこと、生活を破壊していくことは、ある意味で絆を形成することである。それは、宙ぶらりんであるという確信を誤魔化さない、という姿勢からは一番遠い行為となる。あらゆる横への拡がりを出来得る限り堪え、ひとつところをグルグルと回り続ける。細く緊張した螺旋が、天辺を見失ってしまう程に伸び上がっている。