別に、しなくて良いのかもなあ・・・

 相手の思っていることを直接体感することは出来ない。

「きっと、そういうふうに思っているのだろうなあ・・・」

ということを、相手の表情や言葉から推し量ることが出来るだけだ。と、どこかで書いた。

 日々の暮らしを営んでいると、このことで答えの出ない問答に引き込まれることがよくある。例えば、

「もう、眠いからさっさと寝てしまいたい」

と思っているが、私が寝てしまうと、今晩親はひとりで食事をしなければならなくなるから、とりあえず起きているという状況があるとする。このとき、

「親は、別にひとりで食べることを苦にしていないかもしれないじゃないか」

という疑問が私の前に立ち上ってくるのだ。

 もちろん、そんなことは親本人にしか分からない。たとい、

「ひとりで食べるのって嫌?」

と訊いてみたところで、

「別に嫌じゃないよ」

「うーん、ちょっと嫌かな」

などと返されたとしても、冒頭で述べたように、それが本心からの言葉であるかは分からない。

 本当は、一緒に食べることこそが嫌なのかもしれないし、反対に、ひとりで食べることが死ぬほど嫌なのかもしれない。それを知るのは本人だけだ。

 それでもし、ひとりで食事をすることを、それほど苦にしていないというのが本心だったとしたら、私が気を遣って起きている意味は何なのだろうと思えてくる。

「ええい、じゃあもう寝てしまえ」

と、思いきろうとしても、今度は、

「いや、待てよ。ひとりで食事するのがどうしても嫌だったらどうするんだ?」

という疑問が襲ってきて、結局寝られなかったりするのだ。

 しかし、こんなこと一体、誰の為にやっているのだろう・・・。