私は、野球をしてみたいなどと、自分で思ったことはありませんでしたが、嫌だというほどのことでもなかったので、見学に行ってみることにしました。
実際に練習を見ていても、特に何も感じませんでしたが、帰り際、父や、コーチをしている周りの大人たちに、
「どうだ、野球は楽しそうだろ?やりたいだろ?」
と問われ、その空気に有無を言わさぬものが漂っているのを感じ、
「ああ、もう父は入ることを決めていて、それで私が入らないと言ったら困るのだろうな」
と思い、うんと頷いて野球を始めることにしました。
家に帰って、父が
「自分(私のこと)でやりたいやりたいと言い始めたんだよ」
と母に報告している姿に、何とも言えない苦さを感じましたが、
「父は嘘をついていますよ」
というのも変ですし、私も拒否をしなかったのですから仕方ありません。
そう、キャンプのときの川の思い出と同じです。
親を表面では信頼していても、心の底からは信頼していないがゆえに、親が乗り気になっているものに異を唱えるのがおそろしかったのです。
そうやって、望んではいないことを、恐怖感ゆえに表面的には応えることによって、親を心情的に裏切っていたのです。
父が私に対して抱く気味の悪さはこういうところからも来るのでしょう。
本当は、信頼関係があるなら、子どもなのですから、嫌なものは泣き喚いて拒否すれば良い訳です。そういう意味であの、スーパーで泣き喚くいとこは健康的でした。
でも私には最初からその選択肢が頭の中にないのです。
私は最初から気味悪がっている。
何故最初から気味悪がられるかが分からず、気味悪がる私を親は気味悪がるという悪循環です。
結局その後も、なんとか仮病を使って野球に行くのをやめたいという、間接的なサインだけは何度も送るのですが、
「私は自分の意思によって、誰にも左右されずに野球をやめる」
と、直接表明することまでは出来ずに、とうとう小学校卒業まで少年野球チームに通い続けることとなりました。
というより、そんなことを言い出せる可能性があるということにすら、小学生の私には思い至らなかったのです。
ちょっと前までは、明らかに野球に行きたがらなかった私の気持ちを、察しなかった父が悪いのではないかと考えていたのですが、今では、ここには巧妙な共犯関係があったと考えるようになっています。父だけが悪いのではないのです。どちらが悪いとは言い切れないものが、ただ続いたという動かせない事実が今は私のなかにあるだけです。
父は、そもそも自分が野球に行きたくて、そして私が上手く拒否できないことをおそらく利用して、知らないふりをして最後まで通してしまった。
そして私は、拒否を察しない父に、あえて、あるいは恐怖感から、はっきりと自分の心情を突きつけないという形で、あなたを信頼していないですというメッセージを送り続けてしまった。
そうして、お互いが芯のところで抱く気味の悪さを送り合った結果が、
「お前も将来こういう犯罪者になりそうだな」
の一言にまで繋がっていたのでしょう。
今でこそ、そういう考えを巡らすことが出来ますが、当時そんなことにまで考えがいたらない私には、至る所で気味の悪い場面が襲い掛かってくることになります。
小学校の高学年ぐらいのことになりますか、ひょんなことから、ある一人のクラスメイトの女の子が、どうも私のことを好きだということが判明したことがありました。
そういうことがあったとき、皆さんの気分や感情はどういったものになるでしょう?
周りの人、家族や友達の反応は?
私はといえば、何故か、
「呑み込まれる」
「取り込まれる」
という、焦りに近い恐怖感を覚えたのです。
嬉しかったり、恥ずかしかったり、反対に嫌な気分だったりということではなく、呑み込まれると、まず第一に思ったのです。
そして、その女の子個人に関しては特に何も思わなかったのですが、その事実を知った家族や友達が、事態を歓迎するように盛り上がっていることに、あの、気味の悪さを覚えたのです。
それは、私が日曜日の団欒に覚えたのと、ほとんど同じ種類の気持ち悪さです。
何かが間違っているという気持ちの悪さです。
父や母の、友達の、どこか嬉しそうな表情が、この世のものとは思えないほど不気味なものに見えたのです。
何故なのでしょう。
何故そんな風に世界が見えなければいけないのでしょう。
本当は、その後の展開がどうであれ、その場面は照れながら、よせやいと言いながら、歓迎すべき場面として受け取れたはずです。
でも私にはその映像が見えませんでした。
母の子宮内で、刃物を向けられていて培った、外界に対する印象と、その場面との開きが、あまりにも耐え難いものだったのでしょう。
周りの笑顔それらすべては、私の認識とはかけはなれた、ひどく演技的なものにしか見えないのです。
結局私はここでも、吞み込まれるという恐怖感を頼りに、「応えなさ」を発揮し、どこか人の存在しない場所を求めて内世界を彷徨うようになりました。
その態度がおそらく私を、誰もいない静かな川の世界、詩世界へと知らず知らず近づけていったのだと思います。