近所のささやかな祭りから、有名どころの祭りまで、およそ、
「祭り」
と名のつく催し事は結構ワクワクするというか、好きな方だと言える。
しかし、近所だろうが有名どころだろうが、ほとんどそれらしきものに出向きはしない。
「祭りを取り巻く雰囲気が苦手」
だからだ。人の数、大きな音、それによって醸成される空気、人々の、気の大きくなった様子などなど、その要素のひとつひとつがどれも苦手であるから、実際には祭りにほとんど出向かない。
にも関わらず、祭りが好きだというのはどういう訳なんだろうか。おそらく、
「祭りを欲する心」
が他人様にも私にもあるという事実に興奮させられ、その欲望に従って実際にいくつかの祭りが催されていることにもまた興奮させられるから、何だか知らないけれど祭りが好きなのだと思う。平穏に見えるあの人の中にも、この人の中にも、そして私の中にも、祭り的興奮を欲する心があるのだという事実が、ある種異常な昂揚を生むのだ。
そうすると、私には、
「祭り的興奮」
という内的な事実が在りさえすれば良くて、実際に行われている外的事実としての祭りなどは、
「余計なもの」
というか、必要のないものなのかもしれない。それが、
「出向きはしないけれども、祭り自体は好きなのだ」
というところへ繋がってくるのだろう。