<1187>「静かに燃えてなくなる」

 身振りの少ないものが目を据えて、

 時間より長く一点を見つめていたら、

 そこに小さな驚きが立って、

 仕方を忘れる人が次から次に出来るのです。

 と、

 様子を窺っていて、

 まだまだ足りないのか、、

 もう、なんにも見ていないのか、

 しかし長い時間が経ったあとで、

 形は崩れ、

 崩れたものは小さく燃え、

 なにもなくなってしまうのでした、

 わたしは、ひとりですから、なにもなくなったことをよく言おうと考え、よく言っていました。

 身振りを少なく、

 身体が丁寧に燃えるよう、

 燃えたあとで自由に思索の羽を伸ばせるように、

 細かな灰や、塵、埃にいたるまで、

 見事に眺めていますから、

 おそろしく静やかな気持ちでいられたものです、

 

 わたしのよく欲するところはわたしが丁寧に動くように、ということでした、、

 わたしが今の時間に持っていないと思われることをよくのぞむのは可能性が好きだからだと思います。

 それで、よく欲するものでないものもいたずらに持っていたりすることがあるようです、

 ですから、動きを丁寧に、少なくして、

 時間の外に出て見るのです。

 そうして何にも見えなくなってしまうときは、

 もうこの輪郭を持たなくともよいのです。

 静かに、軽く、この辺りの何ものとも触れてゆけばよいんです。

 

 身体をそのまま、柔らかく預け、

 無理のない姿勢に二人して並んでいるときに、

 あなたが溜息をつき、

 困惑しながらもやはり静かに眼を閉じてしまうとき、

 わたしはそういったときの身体をいつも新しく着直している心地がします。

 身振りの少ない日でしたね、

 あなたはそうは思わなかったかもしれないけれども、

 そういうときは特別に嬉しいんです。

 

 このままもしや回転しないのじゃないか、

 と、

 ひとことのうちに思われる日に、

 尋常の笑みが浮かんで、

 軽やかに運動するあたたかい眼、

 小さく小さく燃えています、

 どうぞ、

 わたしがまた言いますから、

 この辺へ、静かに止まってください。

 どうぞ、