まともになっていくさみしさ

 良い意味でおかしかった人達が、人生の都合上、多少なりとも、

「まとも」

になっていく。 そりゃあ、まだ、「変」な部分を少しは残しているけれども、それでも確実に、

「まとも」

になっていく。その人の中の、「変」の割合は減っている。

 これは本当なら喜ぶべきことだ。周りの人間が、

「まとも」

になっていって、それによって幸せな人生を歩んでいってくれるのならば、それに越したことは無いはずだ。

 ただ、素直に喜べない。何故だかさみしい。あんなにもおかしくって、「変」だった人達が、見事に、綺麗に、

「まとも」

になっていくのが、世の中というものなのか。もしそうなのだとしたら、あまりにもさみしい。

 もちろん、私には、他人を引き留めておく権利もなければ資格もない。「変」の方へずるずると引き寄せたとして、その「責任」を取ることすらできない。

 だから、ただ黙って、周りの人間が、

「まとも」

になっていくのを見ていることしか出来ない。それを見ていて、さみしがるより他にない。